【感想】『らっきー☆ちゃんねる』遂に登場!柊姉妹!
『らっきー☆ちゃんねる』
ナビゲーター:小神 あきら
アシスタント:白石 みのる
さて今回の『らっきー☆ちゃんねる』では、クロスメディアエンタテインメントが一気に加速!
遂に『らき☆すた』(監督:武本 康弘)から、柊 かがみ(CV:加藤 英美里)、つかさ(CV:福原 香織)姉妹が登場しました。
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『らっきー☆ちゃんねる』
ナビゲーター:小神 あきら
アシスタント:白石 みのる
さて今回の『らっきー☆ちゃんねる』では、クロスメディアエンタテインメントが一気に加速!
遂に『らき☆すた』(監督:武本 康弘)から、柊 かがみ(CV:加藤 英美里)、つかさ(CV:福原 香織)姉妹が登場しました。
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『らき☆すた』
(監督:山本 寛)
今回はその最新作『らき☆すた』第01話「つっぱしる女」(脚本:待田 堂子)の感想にかこつけて、ちょっとだけ自分の思っていることをタイプしてみます。
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いよいよ、『蟲師』(監督:長濱 博史)が最終回を迎えました。
絵、音、話。
そのどれもが観る者を魅了する、圧倒的な雰囲気のトゥルーハイビジョン映像作品。
それが自分にとっての『蟲師』でした。
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4:3&16:9コンパチブルトゥルーハイビジョン番組の完成型は、既に存在していた。
2005年 5月 9日(月曜日) 19:30:00
BS103ch NHK-BShiにて、『ΠΛΑΝΗΤΕΣ』(監督:谷口 悟朗)を初めてHD(ハイビジョン放送)で観たときの衝撃は、こうしてトゥルーハイビジョン放送でのLast Phase(最終回)を迎えた今でも忘れません。
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ということで、しばらくアップしていなかった『LOVELESS』(監督:紅 優)の感想ですが、最終回ぐらいはアップしようと思います。
『LOVELESS』の中で一番印象に残っているのは、江夜(CV:釘宮 理恵)と倭(CV:かかず ゆみ)の絡みです。
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さて、いよいよ最終章の『英國戀物語エマ』(監督:小林 常夫)。
それにしてもだ。
TVA(テレビ愛知)に続いての早さで観られているTVO(テレビ大阪)での『フタコイ オルタナティブ』(総監督:逢瀬 祭)の放送とは異なり、tvk(テレビ神奈川)の放送から遅れること二日のSUN(サンテレビジョン)で観ていた『英國戀物語エマ』は、他のブログからのネタバレ回避がとっても辛かったです。
半ばどうでもいい作品ならともかく、『英國戀物語エマ』は自分にとって、とても大切な作品でした。
ですので毎週、それこそ必死でネタバレ回避に努めていました。
さて、そんな環境で観ていた『英國戀物語エマ』のラストは、実に誇り高かったと思います。
正直にいうと、エマ(CV:冬馬 由美)の後を追っていたウィリアム(CV:川島 得愛)が、駅のプラットフォーム上でようやく追い付いたときには、人目も憚らず力強くエマを抱き締めて、「行くな!」と叫ぶウィリアムを勝手に想像していました。
ところが実際には、エマの方から「ありがとうございました」といわれてウィリアムはもうそれ以上、引き留めることはおろか、何も言葉を掛けることが出来なかった・・・
こんなウィリアムを、「へたれ」といって非難することも出来るのですが、ここはもう一歩、作品に歩み寄りたいと思います。
『タイタニック』(監督:ジェームズ・キャメロン)公開時に散々いわれたことですが、世間のより多くの人は、チープなラヴストーリーを求めています。
先程、自分が想像していた「行くな!」なんていう台詞は、それこそチープもチープ。
つまりそのチープなラヴストーリーを、自分は求めていたということです。
対して『英國戀物語エマ』はどうだったかというと、そんなチープなラヴストーリーに陥ることなく、最後まで誇り高いラヴストーリーであり続けた。
これはもしかすると、多くの視聴者の期待には応えていないのかも知れません。
現に、「ウィリアムはジョーンズ家を捨ててエマの許へ」という自分の期待には、応えてくれませんでした。
ですがそれこそが、『英國戀物語エマ』という作品の矜持だと自分は捉えています。
19世紀末のロンドンに於ける、身分違いの恋。
これを真面目に描き切ったからこその、『英國戀物語エマ』。
これを最後まで描き切った小林常夫監督以下総てのスタッフに対して自分は、心から惜しみない拍手を贈りたいと思います。
本当に良い作品をありがとう。
これまでの小林常夫監督作品に於ける真面目さは、自分にとっては時として、堅苦しい代物でした。
ですが『英國戀物語エマ』に於けるこの真面目さは、19世紀末のロンドンを描き切るのに、大いに貢献していたと思います。
19世紀末のロンドンを知らない自分から観ても、そこはかとなくそれらしさを感じていましたから。
また「最終章」とせず「第十二章」としたところから自分は、「第十三章」以降があるものと信じています。
スズランが繋ぐ、エマとウィリアムの行く末を…
さて最後になりましたが、『英國戀物語エマ』の感想をタイプするにあたり、以下のブログを自分のお気に入りに登録して参照させて頂いていました。
「きつねのるーと」と「じーん・だいばー」のお部屋
070-アーステイル-呼出し中
Cosi Cosi
KenjiMのブログ~アニメと野球と音楽と
けん太のアニメ・コミック徒然草
ここには全てがあり、おそらく何もない
サブカルチャーに感想を
ゼロから
パズライズ日記
月の砂漠のあしあと
今日のブログ 明日のグラブロDESTINY
深夜アニメ館
吠刀光
ありがとうございました。
それでは、よしなに。(順不同、敬称略)
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これが本当に衝撃の過去なので、目を覆いたくなります。
ですが、こういったことをきちんと描いているからこそ、エマ(CV:冬馬 由美)とウィリアム(CV:川島 得愛)の立場の差が、際立つんですね。
思い起こせば、前回はエマがウィリアムの許を訪れ、今回はウィリアムがエマの許を訪れた。
そして次回は、いよいよ最終章の~スズラン~。
けん太のアニメ・コミック徒然草によりますと、スズランの花言葉は"幸福"だそうです。
どんなに掛け離れた境遇を経てきていようとも、この二人には是非とも、幸福になって欲しいと思います。
さて、このエントリをタイプするにあたり、もう一度エンディングを観直してみたのですが、やはり、幼少期のエマに対するクレジットはありませんでした。
これはあの幼少期のエマも、冬馬さんが演じられていたということなのでしょうか?
確かめるために、何度か聴き直してみたのですが、幼少期のエマは、自分の知っている冬馬さんのお声には聴こえませんでした。
ですが、芸達者な冬馬さんのことです。
あの幼少期のエマも、恐らくは冬馬さんなのでしょう。
今夜もまた『英國戀物語エマ』(監督:小林 常夫)を観ながら、冬馬由美さんに惚れ直しています。(^^)
それでは、よしなに。(敬称略)
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リチャード(CV:野島 昭生)はもちろんのこと、グレイス(CV:大原 さやか)達妹弟や、フランシス(CV:田上 由希子)やメアリー(CV:遠藤 綾)達使用人の見守る中、エントランス前で強くエマ(CV:冬馬 由美)のことを抱き締めるウィリアム(CV:川島 得愛)。
リチャードに「恥を知れ!」と頬を叩かれても、「恥じることなど一つもない!」と言い返すウィリアムが、本当にカッコイイです。
例えば、『ママレード・ボーイ』(原作:吉住 渉・シリーズディレクタ:矢部 秋則)。
ヒロインの光希(CV:國府田 マリ子)に惚れる遊(CV:置鮎 龍太郎)や蛍(CV:石田 彰)には、作品内キャラクタとしての魅力は感じるものの、自分と同じ男としての魅力は感じません。
ですが、ヒロインのエマに惚れるウィリアムには、自分の同じ男としての魅力を、大いに感じています。(この意見には自分の偏見が多分に含まれているのですが、女性が惚れる男性キャラクタと、男性が惚れる男性キャラクタは違うということでどうか)
女性である原作者:森 薫さんが描くヒロイン:エマ。
そのエマに惚れるウィリアムが、男の自分から見ても実にカッコイイ。
これは、小林常夫監督が男性だからでしょうか?
ですが、シリーズ構成の池田 眞美子さんは、当然のことながら女性です。
自分は原作未読のため、このウィリアム像が原作からのものなのか、TVシリーズオリジナルなのかは判りません。
しかしながら、女性主人公のストーリーで、それに惚れる男性キャラクタが、ここまで魅力的に描かれている作品は初めてです。
『英國戀物語エマ』は一クールと聞いているので、残り話数は三話でしょうか?
これはもう、一話たりとも眼が離せません!
次回、第十一章~過去~も期待しています。
そういえば今回の絵コンテは、宮崎なぎささんでしたね。
それでは、よしなに。(敬称略)
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エマ(CV:冬馬 由美)が画面に映る度に、ケリー(CV:中西 妙子)が亡くなったというその重さから、自分は胸が潰されそうになります。
そしてこのときウィリアム(CV:川島 得愛)は、エレノア(CV:小林 沙苗)とともに晩餐会へ出席しているんですね。
この華やかさとの対比が、悲しみの表現にますます拍車を掛けます。
だけどエマは、涙に暮れていたわけではありません。
時折ケリーのことを思い出しながら、ただ淡々と、ケリーのいなくなった屋敷を片付けていました。
そういった姿が自分には、より悲しく思えてなりません。
ですが、それ以外のキャラクタ…特に、エマと同じ女性のメイド長(CV:五十嵐 麗)が、自分に自信を与えてくれます。
貴族と料理人の立場の違いを彼女は、「料理人といえど、味で貴族様を感動させることができたその一瞬はね、対等になれるのよ。そういうものじゃない?」と言い切る。
この台詞にはすっと、こちらの胸が晴れました。
だけどエマは夜中に、水道の蛇口から滴り落ちる滴の音で、ふと目を覚まします。
そしておもむろに、暖炉へ火をくべます。
しばらくして、暖炉の暖かさが身体を包む頃、エマはひっそりと泪を流していました・・・
こちらが頭で「悲しみを表現している」と理解するよりも先に、エマの悲しみがこちらの心に突き刺さります。
更に、エンディングテーマ『Menuet for EMMA』の後には、いつもエマの許へミルクをせびりに来ていた野良猫が、どこか別の家の人に、ミルクをせびるシーンが挿入されていました。
ケリーが去り、野良猫も去り、本当にひとりになってしまったエマ。
婉曲に表現されればされるほど、エマの悲しみが深く伝わってきます。
なのに毎度のことながら、その雰囲気をぶち壊す「コミックビーム」のTVCF!
『英國戀物語エマ』(監督:小林 常夫)の掲載紙なら、もう少しは作品の雰囲気に沿ったTVCFにして欲しいと思います。
さてこの『英國戀物語エマ』ですが、『エマ放送協會』総合ラジオによりますと、先日、遂に、最終回のアフレコが終了したそうです。
最終回まで、眼が離せません。
それでは、よしなに。(敬称略)
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「あのエマが好きになったのよ」
この、何の変哲もないケリー(CV:中西 妙子)の台詞は、自分の胸に深く突き刺さりました。
ほんの少し、本当にほんの少しだけ抑揚を強めたこの台詞には、ここにはタイプし切れないほど、たくさんの豊かな感情が込められていました。
アクションは殆どありませんし、たくさんの台詞があったわけでもありません。
ですがこのシーンは、こんなにも温かい想いで溢れている。
脚本は、台本で魅せようとする。
演出は、絵コンテで魅せようとする。
動画は、動きで魅せようとする。
声優は、声の演技で魅せようとする。
このシーンはというか、この第八章~時計~は、そのどれかが突出していたわけではありません。
そのどれもが、まるで自己主張をしていないかのように、ぐっと抑えられていました。
ですが自分はすぐに、この受け取り方が間違いだったことに気が付きました。
少しでも無駄な台詞があろうものなら…
少しでも無駄なカットがあろうものなら…
少しでも下手な動きがあろうものなら…
少しでも下手な芝居があろうものなら…
これは抑えられていたのではなく、それぞれのパートが恐ろしいまでに高いところで、作品として実を結んでいたのだと思います。
視聴者サイドはこれを、「完成度が高い」の一言でいい表すことが出来るのですが、そんな言葉で片付けてしまって、本当にいいのでしょうか?
『英國戀物語エマ』(監督:小林 常夫)はこれを、TVシリーズでやってのけています。
SUN(サンテレビジョン)では、地上デジタル放送でも4:3画面のレタボックス放送なのが玉に瑕ですが、次代を担うのに相応しい作品であると、自分は思います。
次回予告の「第九章~ひとり~」の文字を見て、独りになってしまったエマ(CV:冬馬 由美)のことが、とても心配になってきました。
フィクションの住人に、心を掻き乱されています。
それでは、よしなに。(敬称略)
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これまで自分が観てきた恋愛物では、ストーリーテンションがアップすれば、それに比例して、ヴィジュアルテンションもアップするものでした。
ところがこの第七章は、エマ(CV:冬馬 由美)とウィリアム(CV:川島 得愛)のキスシーンがあるぐらい、ストーリーは盛り上がったのに、ヴィジュアルの方はいつも通りでした。
いつも通りの真面目な絵作り。
サブタイトルにもなっている水晶宮(クリスタルパレス)内でのモブシーンなんて、余りにも自然に描かれていて、全く眼が行かなかったのですが、あれは物凄いテクニックで描かれていたと思います。
今回はそういったいつも通りの映像が、まるで最下段に打たれた香車のように、作品全体のテンションを支えていました。
日が落ちて、映像はどんどん落ち着いていくのに、観ているこちらの心臓はバクバクしていました。
暗い水晶宮内、途切れる会話、眼鏡を外すエマ、その手を取るウィリアム。
そして・・・初めてのキス。
BGMに「MOMENT」(唄:國府田 マリ子)が流れているわけでもないのに、こちらの盛り上がりは最高潮でした。
こんなにハイテンションにさせられるローテンションな映像は、初めて観ました。
派手なことをしなくても、テンションを上げることは出来る。
いやむしろ、派手なBGMや画面効果で魅せるよりも、こういった地道で真面目な絵作りで魅せた方が効果的ではないだろうか。
そんなことを思った、第七章でした。
さて今回のウィリアムの行動で、一点だけ引っ掛かるところがありました。
それは、エマを見失うところです。
ウィリアムはエレノア(CV:小林 沙苗)との関係も重々承知していて、無言のツッコミを入れるハキム(CV:うえだ ゆうじ)に対して、「流されている訳じゃない」とまでいっています。
ですから自分は、抜けているように見えるところもあるけれど、基本的にウィリアムは優秀な紳士だと思っていました。
ところが今回のエマを見失うという失態は、自分の中にあるウィリアム像と少し違いました。
もちろん水晶宮の展示物に、それだけ眼を奪われてしまったということなのでしょうけど、自分はそこに引っ掛かりを覚えました。
ですがそんな引っ掛かりは、件のキスシーンでもう、どこかへ行ってしまいました。
そのぐらい今回も良かったです。
次回、第八章~時計~も期待しています。
それでは、よしなに。(敬称略)
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「弥生さん好きだー! 死んでもいい!」
「よしよし草灯、おいらが体罰を与えてやるぞ!」
「俺の麻美子(東雲瞳先生のことね)を泣かすなんて、コニタン(草灯のことね)なんか死んでしまえ!」
ってな感じで宜しいでしょうか?(^^;
クラスメイトによるイジメシーンが気分悪いとか、そんなところはひたすら無視して、ひたすら萌えシーン(?)だけを追求するというのが、『LOVELESS』(監督:紅 優)鑑賞のお作法・・・なのかな?(^^;
正直にいうと、残念ながら、演出が従来の J.C.STAFF 並みに落ちてしまったなぁ、という感想です。
それに、何でもかんでも"ななつの月"で引っ張りすぎる、きらいも感じられます。
ですが『LOVELESS』は、巷間に埋もれる作品ではないと感じてます。
その平凡な作風を、非凡な作風へ底上げしているのが、コニタンの甘い演技ではないかと…
次回も愉しみです。
さて今回は、ぐれげさんからのTBに対応する形で、このエントリを立ち上げました。
TBを戴けるということは、たいへん有り難いことです。
ですので、こちらへTBするのに適当なエントリがない場合は、その旨をこちらへお伝え下さい。
このエントリのように、決して無下には致しませんので。
こちらの対応はトロいかも知れませんが、これからもたくさんのTBとコメントを、宜しくお願いします。>ALL
それでは、よしなに。(敬称略)
P.S. TBポリシーについては、こちらを参照して下さい。
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端役にベテランを起用しているときには、絶対に何かある。
『英國戀物語エマ』にも、この法則が受け継がれていた。
今回はそんな第五章でした。
これまではただの酒飲みだったアル(CV:西村 知道)。
だがアルは、ケリー(CV:中西 妙子)とその夫ダグ(CV:森岡 弘一郎)と、昔馴染みだった。
そのケリーとアルのやり取りが、実に良かったです。
舞台と違って、タイミングは映像に委ねられているはずなのに、まるでベテラン同士が間合いを取り合って、タイミングをコントロールしているかのような映像でした。
このやり取りについては、『エマ放送協會』総合ラジオの大原さやかさんも、「中西さんと西村さんの芝居は勉強にもなる」といわれていました。
また、各キャラクタの行動原理が"他人への優しさに根付いていて"、凄く気持ちがいいです。
特にケリーがネックレスをエマ(CV:冬馬 由美)に譲るシーンは、別に何か特別なことがあるわけではないのですが、観ていてジーンときました。
あと前回は、テニスでウィリアム(CV:川島 得愛)に負けたハキム(CV:うえだ ゆうじ)でしたが、今回はビリヤードで勝ちに来ました。
しかも、ウィリアムがキューを突き出す瞬間に小咳を払うという、ちょっと卑怯なテクニック(?)を用いて。
何だかますます、ハキムというキャラクタが判らなくなってきました。(^^)
第六章~訪問~も期待しています。
それでは、よしなに。(敬称略)
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2005/05/01(Sun)はWOWOWで、『CASSHERN』(監督:紀里谷 和明)、『APPLESEED』(監督:荒牧 伸志)が立て続けに放送されました。
どちらも、ハイビジョン5.1chサラウンドステレオ放送ということで、期待は高まります。
早くこういった放送形態が、今のステレオ放送のように当たり前になって欲しいと思います。
それで『CASSHERN』の方は公開当時に、ワーナー・マイカル・シネマズ茨木にて鑑賞しておりますので、今回は理解を深めるために観ました。
その時の感想はこちらに認めていますので、お読み頂ければ幸いです。
ということで今回は、『APPLESEED』の感想を認めようと思います。
ゴールデンウィークとはいえ、平日の昼間から自宅で、-25dBの大音声をもって観る映画って、凄くいいですね。
たまにこういった時間があるから、なかなかWOWOWとの契約を切れないんですよね。(苦笑)
ということで今回は、リアルタイムではなく、録画したものを次の日に観ました。
さて、そんな大音声のお陰で、目の前で大爆発音がするかと思えば、左後ろからは、とても小さな金属音が聞こえてくる。
そのぐらい音響面では、文句の付け所がなかったです。
MPEG2-AAC 5.1ch でもこれだけ聴かせてくれるのですから、DVDに収録されている dts 5.1ch では、もっともっと聴かせてくれることでしょう。
そして『APPLESEED』は「3Dライブアニメ」を標榜しているだけあって、映像面でも凄いです。
『ファイナルファンタジー』(監督:坂口 博信)が"静"を志向しているのに対して、『APPLESEED』は"動"を志向しているぐらいの違いでしょうか。
もう、このぐらいのレヴェルになると、CGだから云々、実写だから云々というカテゴライズはナンセンスだと思います。
どちらも背景美術には、甲乙付けがたいと思います。
ですが人物描写には大きな違いがあります。
『ファイナルファンタジー』は人物までもリアル志向で描いています。
そのため、総ての画面内のオブジェクトには同一密度のテクスチャが採用されていて、背景との違和感はなく、キャラクタも最後までその世界観に馴染んでいました。
ところが『APPLESEED』のキャラクタは総て、トゥーンシェイダーによってセル画タッチで描かれています。
そのためテクスチャ密度の違いから、カメラが引いたときなどに背景からキャラクタが浮いて見えてしまい、最後までキャラクタは世界観に馴染むことがありませんでした。
個人的にここは少し残念に思う部分なのですが、『APPLESEED』はこの手法を選択したからこそ一流のアクション映画になり得たと思います。
『ファイナルファンタジー』の手法では、ここまでのアクションは描けなかったものと思います。
何年後になるかは分かりませんが、『ファイナルファンタジー』の手法による、一流のアクション映画が生まれることを期待します。
次はストーリーについて。
もしも『APPLESEED』にこのストーリーがなければ、自分はこの感想をアップしていません。
そのぐらい、ストーリーが良かったのです。
どんなに映像技術が進化しようとも、映画にとってそれらが何のためにあるかといえば、それは感動を伝えるためです。
お話の感動なら小説でも充分ですし、映像の感動なら実験映像でも充分です。
ですが映画の感動は、そこに音響も加え、それらが渾然一体となって初めて伝わるものです。
いや、その渾然一体となった感動を伝えたいからこそ…そして観客はその感動を味わいたいからこそ、映画文化は未だに廃れずにあるのでしょう。
ですが、ネット上に散らばる感想を拝見しますと、やはり「ステレオタイプなシナリオ」とタイプしている人が…
それからもう一つ多いのが、「アニメ絵が云々」「リアルじゃないから云々」と…
いつも思うのですが、こういった、それこそステレオタイプな文句をいう人って、自分の審美眼がショボイということを宣伝しているだけだとは・・・まぁ、思っていないんでしょうね。(苦笑)
しかしながら、このストーリーとアクションが100%融合しているのか?と訊かれると、そこはちょっと弱いかな?と…
このストーリー展開は、アクションシーンのためにある部分が強いですし、あのラストなら、何もあれだけのアクションシーンを用意しなくても、描けたのではないか?と思います。
ですがそれでも『APPLESEED』は、観る人に愛を託した素晴らしい作品です。
宣伝などで「3Dライブアニメ」を前面に押し出しているため、映像面ばかりに眼がいってしまいますが、作品のコアは映像ではなく伝えたいものです。
一人でも多くの人に、『APPLESEED』を愉しんで欲しいと思います。
それでは、よしなに。(敬称略)
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今朝 9:30~AT-Xで放送された、『LOVELESS -Prologue-』を観ました。
「カリスマ漫画家」という表現は頂けませんが、『LOVELESS』(監督:紅 優)をよく理解できる、たいへん良い内容の番組だったと思います。
最初、事前情報なしに第1話「BREATHLESS」を観たときには、"そうび"とか"せんとうき"とか"さくりふぁいす"とか、とにかく意味を持つ単語が作品内では他の意味に用いられていたので、そこにとても大きな違和感を感じていました。
ですが今回の『LOVELESS -Prologue-』で、原作者:高河ゆんさんが、以下のことを仰っていました。
「言葉を、読む。そこから、イメージが一気に広がる」
自分はこの言葉を聞いて、ようやく胸のつかえが取れたような気がしています。
つまり、『LOVELESS』は耳からの聴覚情報で感じるのではなく、眼からの視覚情報で感じる作品なんですね。
コミックスには聴覚情報がない。
これは至極当前の話なのですが、ここを積極的に利用してくる『LOVELESS』は、たいへん意欲的な作品なのだろうと感じました。
ですが逆にTVシリーズには、聴覚情報がある。
その聴覚情報に、"草灯"や"戦闘機"や"サクリファイス"が載ってくると、これは自分だけかも知れませんが、たいへんチープなものを感じてしまいます。
ですが、それを補っても余りある映像表現には、大きな魅力を感じています。
特にエンディングの、サブタイトルをバックにして、泡沫のように消えていく歌詞の映像には、こういった映像を創り出すことが出来て、羨ましいとさえ思います。
だからこそEX(テレビ朝日)には、新しい『ドラえもん』(総監督:楠葉 宏三)宜しく、トゥルーハイビジョン16:9ワイドで制作して欲しいと思います。
今のような額縁放送では、折角の16:9映像が勿体ないと思います。
視覚情報で感じる『LOVELESS』を是非、地上デジタル放送のフルスペックで…
さて、この『LOVELESS』ですが、どうも自分の愉しみ方は、違うんじゃないかな?と思えてきました。
というか、ぐれげさんように、きゃぁきゃぁいいながら、萌え死にながら、七転八倒しながら、大発狂しながら観るのが、本当の愉しみ方かと。
そうか、チ●コの話にしか聞こえないんだ・・・
それでは、よしなに。(敬称略)
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(アフリカ象みたいな)インド象の次は、蒸気自動車ですか。
やることが大胆というか何というか、第一章の頃の舞台設定による窮屈さはどこ吹く風で、とてもいい感じです。
さて、今回のサブタイトルにもなっているミューディーズで、ウィリアム(CV:川島 得愛)とハキム(CV:うえだ ゆうじ)がエロ本…もとい、グラビアアイドル本(?)を立ち読みするというシーンがありました。
ここでお約束として、エマ(CV:冬馬 由美)が通り掛かるわけですが、このときハキムはひっそりと身を引いているんですね。
つまりこれは、自分は物陰に隠れ、エロ本を読んでいるウィリアムを、エマに見せ付けようという、ハキムの魂胆なのかと。
またその後、ウィリアムとハキムによる、テニス(の原型?のようなもの)対決がありました。
自分はこの後のエレノア(CV:小林 沙苗)の描写から、てっきりハキムがわざと負けたのだと思っていました。
つまり、ウィリアムをエレノアにくっつけてしまって、エマからウィリアムを引き離そうとする作戦なのかと。
ですがその後のハキムは、ウィリアムに対して、正々堂々とエマに告白したことを伝えます。
それはまるでウィリアムに、「お前も早く告っちゃえよ!」といわんばかりに。
ということで、前述のテニス対決は、ウィリアムの実力で勝利をものだったのですね。
ごめんなさい。
ハキムを腹黒く見ていたこちらの方が、腹黒かったようです。(苦笑)
ですが、流石にエロ本の立ち読みについては、自らの保身を考えてのことですよね?…
というかそれ以前に、19世紀末のイギリスでは、エロ本を立ち読みする紳士は、マイナスイメージに捉えられたのでしょうか?
この辺りの感覚が、もう一つ掴めないでいます。
さて、いつものアンティークショップでエマを待ち伏せるウィリアム。
この勢いでエマに告白するのかと思いきや、やっぱりいつも通りの二人。
だけどその二人の仲が確実に進展していることは、その二人の表情を見れば判ります。
自分はこの「表情を見れば」というところに、物凄く魅せられています。
特にエマは、喜怒哀楽をあからさまにしないキャラクタとして描かれています。
ですがその抑えられた表情の中にも、きちんと喜怒哀楽が描かれています。
このニュアンスを描き分けくる作品は、そうそう見られるものではありません。
ましてや『英國戀物語エマ』(監督:小林 常夫)は、TVシリーズです。
2005年は本当に、ハイクォリティTVアニメーションの年かも知れませんね。
それでは、よしなに。(敬称略)
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まず最初に、ヒンディ語に拘るのなら、象にも拘って欲しかったです。
牙も立派ですし、耳も大きいですし、あれはインド象じゃなくて、アフリカ象ですよね?
この象の描写について、原作の方ではどうなっているのでしょうか?
非常に気になります。
このインドなのにアフリカ象という描写は以前、『少女革命ウテナ』(監督:幾原邦彦)のときにもありました。
象のイメージというと、インド象よりもアフリカ象の方が強いというのは分かります。
そしてインドという、インド象というイメージも。
ですがそれらをミックスしてしまうというのは、どうなのでしょうか?
特にこの『英國戀物語エマ』では、たいへんリアルな19世紀末のイギリスを描き出すことに、腐心しています。
今回でいえば、新聞にアイロン掛けをするところまで、描いています。
ですので余計に、今回の象は残念でなりません。
ですが、立派な牙を持つインド象もいるとのこと。
『英國戀物語エマ』は小林常夫監督作品ですし、あの象はアフリカ象のように立派なインド象だと思うことにします。
というかそれ以前に、19世紀末のイギリスで、インドの金持ちが英國紳士と交友があり、多くの召使いを引き連れてお忍び(笑)で象に乗ってイギリスに遊びに来るというのは、あり得たことなのでしょうか?
これがリアルなのかどうかの判断が、自分には出来ません。
ですが『英國戀物語エマ』は元々フィクションなので、リアリティについてはここまでにしようと思います。
さて、物語の方ですが、前回登場のエレノア(CV:小林沙苗)が、ウィリアム(CV:川島得愛)サイドのお邪魔虫とするならば、今回登場のハキム(CV:うえだゆうじ)は、さしずめエマ(CV:冬馬由美)サイドのお邪魔虫といったところでしょうか?
死語と化したラヴコメ路線を地で行くキャラクタ配置が、実にいい感じです。
この設定は、舞台を現代にすると、ベタベタ過ぎて見ていられないのかも知れません。
ですが、リアリティ溢れる19世紀末のイギリスという舞台が、自分の眼には還ってフィクションに映り、このベタベタ恋愛話を思う存分フィクションの中で愉しめそうな感じです。
更に次回予告を観ますと、第四章もハキムのラヴラヴ大攻勢が続くようです。(笑)
他の方はどうか分かりませんが、自分はこのままの路線で進めて欲しいと思います。
それでは、よしなに。(敬称略)
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前回とは違い、今回は定時に始まった『英國戀物語エマ』(監督:小林常夫)。
前回は、このまま観続けようか否かを迷っているというところでしたが、今回の第二章をもって、最終章まで観ようと思いました。
そのくらい、婦人傘屋内でのやり取りが面白かったです。
しかも驚いたことに、このシーンはTVシリーズオリジナルだそうです。
この話を聞くと、いやがうえにも作品に対する期待が高まります。
そして何よりも、「笑顔が見たかったから」と屈託なく話すウィリアム(CV:川島得愛)がいいですね。
こういったラヴコメ調の話を、この19世紀の世界観でする必要があるかどうかはともかく、自分はこういった方向性の方が愉しめそうです。
逆に貧富の差や、階級の差を前面に押し出した展開になると、自分はちょっと愉しめそうにないです。
エマ(CV:冬馬由美)とウィリアムの階級差は、あくまでも立場の差だけであって欲しいです。
さて、このエントリでは余り、作品内容に踏み込んでいないのですが、そちらの方はみやびあきらさんのエントリをお読み頂ければと思います。
自分がこの作品に魅せられた箇所が、余すところなくタイプされています。
それはこのエントリを読んでしまったがために、もうこれ以上、自分のタイプすることがなくなってしまったぐらいです。(苦笑)
そのぐらい、みやびさんのエントリには共感を覚えました。
さて、『英國戀物語エマ』のオフィシャルページを拝見していますと、何やら日帰りバスツアーが企画されているようです。
ラジオ番組ではよく見掛けるバスツアーですが、TVシリーズのアニメーションで日帰りバスツアー企画を見るのは初めてです。
日帰りで¥29,800-は高額だと感じるのですが、行き先である福島県のブリティッシュ・ヒルズがそれ見合うだけのところなのでしょう。
それでは、よしなに。(敬称略)
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ファーストインプレッションは、"見紛うことなき小林常夫監督作品"でした。
とにかく真面目な作品です。
自分が初めて小林監督の名前を意識したのは、『超GALS!寿蘭』(原作:藤井みほな)でした。
この作品の基本はギャグなのに、作風がやたらと真面目でして、イジメをする教師の回なんてもう、それが裏目に出て、非常にイヤな気分になったことを今でも鮮明に覚えています。
次に観た小林監督作品は『美鳥の日々』(原作:井上和郎)でして、これは右手が恋人(笑)だったので、まだ観られました。
その次は『十二国記』(原作:小野不由美)。
これは流石に真面目すぎて、第1話で切ってしまいました。
そして今回の『英國戀物語エマ』(原作:森 薫)。
エマ(CV:冬馬由美)の一挙手一投足、イギリスの街並み一つ取ってみても、とにかく真面目。
馬車の描写から手紙の文字、明確に貧富の差を描いているところまで、画面の端々からきちんとしたものを真面目に描き出そうとする熱意が伝わってきます。
またストーリーの方も、凄くいいです。
裸眼では視力に乏しく、世界が狭かった少女時代のエマ。
そこで主人のケリー(CV:中西妙子)から眼鏡が与えられることによって視野が広がり、世界が広がった。
これは少女から女性へといったところでしょうか?
そして時が経ち、その眼鏡も度がずれてきたところに、エマに一目惚れしたウィリアム(CV:川島得愛)から、眼鏡のプレゼントを持ち掛けられる。
これは女性から恋人へといったところでしょうか?
ですがエマはそれを断り、プレゼントはレースのハンカチでいいという。
度がずれていても、ケリーとの思い出が詰まった眼鏡はそのままにして、ウィリアムからは昔から憧れていたレースのハンカチをという…
あくまでも、ケリーのメイドでいることに踏み留まろうとするエマ。
本当にドラマがよく出来ていると思います。
ですが自分は今、この作品を観続けるかどうかを迷っています。
その一番の理由は、真面目すぎるからです。
余りにもその作品が出来すぎていて、こちらの想像の羽根を広げる余地がないといえば、伝わりやすいでしょうか?
自分はもっと自分の中で余韻を愉しめるような、そんな作品の方が好きです。
取り敢えず、冬馬さんの芝居がとても心地良かったので、次回も観てみようと思いますが、その先は未定です。
それと、SUN(サンテレビジョン)に於ける一連の16:9作品について。
昨年の12月より、SUNでも地上デジタル放送が開始されました。
ですが今まで、この『英國戀物語エマ』も含めて、16:9作品が16:9ワイドで放送されているところを、一度も観たことがありません。
自分が観た限りでは、16:9画面の両端に黒帯を入れて4:3画面を作り出し、その4:3画面の上下に黒帯を入れて16:9作品を流しているものばかりでした。
しかも映像信号は1125iなので、うちのモニタでは、画面ズームすることが出来ません。
これは恐らく、幹事局であるCTC(ちばテレビ)のマスタから、所謂額縁映像になっているからだと思うのですが、これはどうにかならないものなのでしょうか?
TVO(テレビ大阪)では、16:9作品はきちんと16:9ワイドで放送されているので、この思いがよりいっそう強くなっています。
それでは、よしなに。(敬称略)
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凄くライトな表紙絵をしているが、これは入江紀子から現代を生きる人総てに対して振り下ろされた、おもい木刀である。
この木刀は避けても、受け流してもいけない。
絶対に受け止めなければならない。
この木刀を受け止められぬ者に、今を生きる資格はない。
作中の言葉を借りよう。
泣こうがわめこうがかまわねえ
生きてるもんは生き続ける義務がある!
「権利」じゃねえぞ 「義務」だ!
生きたくても生きられない人間がいる
生かされている人間は死ぬまで生ききる義務があるんだ!
それが礼儀だ
…友達への…家族への…
みんなへの礼儀だ
この『走れハイジ』は、みんなが読まなければならないと思わせるのに、充分な作品でした。
コミックスの表紙の最上段には、「児童誘拐、いじめ、自殺、いのちと感動の超衝撃作!」と書かれています。
これはハッタリではありません。
絵的にではなく、精神的にザックリ刺さるショッキングなシーンが、たくさんあります。
ですが、それでもみんなに読んで欲しい。
それが、今を生きるということなんだと思います。
それでは、よしなに。(敬称略)
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先日、SKY PerfecTV!2(現:SKY PerfecTV!110) Ch.180 ANIMAX で放送されたものを、拝見しました。
これ、凄く心地いいです。(^^)
いや、自分にとっての心地いいは、往々にして他人には受け容れられないものですので、その辺りは考慮して下さいね。
さて、この別に何が起きるわけでもなく、ストーリーに起承転結があるわけでもない、ただただ淡々と流れる作品内時間。
映像的には、丁寧に、とても丁寧に描かれる、黄昏。
橙から赤、赤から赤紫、赤紫から青紫、青紫から・・・
音響的には、全編にわたって風の音や虫の音などのSEが中心で、BGMは殆どありません。
ですが、ここぞ!というところにだけ、ひっそりとBGMが流れてきまして、このGONTITI担当のBGMが、またいいんです。
こういった作品に巡り会えたことに、とっても感謝です。
また昨年末には、望月智充監督によって、この『ヨコハマ買い出し紀行』の新作が発売された模様です。
また機会があればこの新作の方も、拝見したいと思います。
それでは、よしなに。(敬称略)
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この映画は公開初日(2002/03/30)に鑑賞したのですが、色々とありまして、この感想文はゴールデンウィークに認めております。
感想『ミニパト』第2話「あゝ栄光の98式AV!」
しかし、ある程度覚悟していたとはいえ、ここまでパトレイバーを始めとするロボットアニメ・・・いや、ロボットやアニメに限らずパソコンなど、ありとあらゆる知識がないと100%の理解ができない作品だとは思いませんでした。
また公式ページによりますと、自分が鑑賞した第2話の上映時間は12分だそうですが、これにはとてもそんな短い上映時間だとは思えないほどの内容が凝縮されています。
これは偏に、シバシゲオ役の千葉繁さんによるところが大きいと思います。
とにかく早口。
矢継ぎ早に言葉を捲し立てるその語り口は、例えその話している内容が全く理解できなかったとしても、充分に楽しめたのではないのでしょうか?
それから、もう一つの楽しみは、あのパタパタアニメーション(?)でしょう。
これはなかなかテキストや静止画では伝えにくいというか、絶対に100%は伝えられないのですが、紙で出来た平面人形を、割り箸やピアノ線で動かしているような感じ。といえば伝わるでしょうか?
ですがこの作品は、フルCGで制作されたようです。
劇場公開前後に放送された特別番組によりますと、動きの検証のために、実際に紙人形を作成していたようですが、最終的には総てディジタライズされたようです。
でないと、ああいった映像は表現できないと思われます。
これは文字通り、これまでに観たことのない映像が観られること、間違いなしです。
CGはハリウッド映画に代表されるような、実写との見分けが付かないリアルな方向へと、着実にその歩みを進めています。
ですがその一方でこの『ミニパト』のように、CGでないと表現できない映像もまた、創り出されています。
『ミニパト』第2話「あゝ栄光の98式AV!」は、一瞥すると、それなりの知識を持った者にしか笑えない、非常に閉鎖的なギャグ作品なのかも知れません。
ですが、もっとよく咀嚼してみるとこの作品は、短い時間にどれだけのコンテンツを詰め込めるのか?ということと、これまでのフィルムでは表現できなかった映像を追求した、たいへん意欲的な作品であったと思います。
ところでこの作品、初見で内容を100%理解できた人は、どのくらいいるのでしょうか?・・・
感想『WXIII PATLABOR THE MOVIE 3』
さていよいよ本編の感想なのですが、まず第一に、たいへん地味ながらも非常に観応えのある作品だと感じました。
「昭和75年の東京に怪獣が出現する」と聞くと自分は、怪獣映画に代表されるような、リアルな視点で作品を観ることを憚られるような内容かと思っていたのですが、それはとんでもない誤解でした。
WXIIIは、たいへんリアルかつ重厚な、大人の人間ドラマでした。
JOQR「ポリケロののわぁんちゃってSAYYOU!」内で脚本のとり・みきさんは、「ロボットものではなく怪獣ものをやりたかった。でも蓋を開けてみると、ロボットものでも怪獣ものでもなくなっていた」といった旨を話されていました。
この言葉の通り、WXIIIは割合でいえばロボットものでもなければ、怪獣ものでもありません。
この作品は間違いなく、大人の女と男が紡ぎ出す人間ドラマです。
しかもそれは、明るく華やかなラヴストーリーではなく、暗く悲しいラヴストーリーでした・・・
ですが、だからといって、ロボットや怪獣といったギミックが、このラブストーリーと相反していることはなく、むしろ相乗効果をなしている。
ここがこのWXIIIの凄いところだと思います。
普通、作品内容がどんどんリアルになればなるほど、ロボットや怪獣といった空想の産物は、どんどんとその作品から乖離していくと思うのです。
ところがWXIIIは、「東京」や「警察」といったリアルなものをよりリアルに描き上げることによって、逆に「ロボット」や「怪獣」といったアンリアルなものを、作品世界に定着させている。
しかもこの作品の主人公は、ロボットでもなければ怪獣でもない、久住 武史(CAST:綿引勝彦)と秦 真一郎(CAST:平田 広明)という、一介の刑事たちなのです。
ここまで徹底的にフィクションを描きにくい舞台を用意した上で、徹底的にフィクションを描ききったWXIIIは、たいへん希有な作品だと思います。
例えばこれは、ロボットとか怪獣とかを抜きにして、敵役。
ハリウッド映画の大概がそうだと思うのですが、主人公達が活躍するためには、必ずそれ相応の敵役がいます。
そしてその敵役が、例えばエイリアンに代表されるように、とにかくエイリアンだから人間を襲ってくる。
そしてその異形の存在理由などは、余り多く語られない。
ところがどうでしょうか、このWXIIIに於ける怪獣(廃棄物13号)は。
その怪獣の成り立ちは、東都生物医学研究所主任研究員である岬 冴子(CAST:田中敦子)の亡くなった娘の癌細胞から。
「死んだ娘が(例えその姿が怪獣であったとしても)生きている」というモチベーションは、これまでのマッドサイエンティスト系には余りなかったものと思います。
そして人を襲う理由は恐らく、あの怪獣に宿った新しい生命のため。
このあたりのギミックはエイリアンにもあったものですが、その表現方法が、実に心憎かったです。
この映画のラスト近く。
スタジアムの真ん中で、陸上自衛隊の特別部隊に焼かれていく廃棄物13号と、それを見詰める岬の姿。
それまで娘を思う母、岬の姿を描き続けてきたWXIII。
岬の自室の壁一面に貼ってある、異常なまでに大きく引き延ばされた娘の写真が、たいへん印象的でした。
しかし、スタジアムに入る岬に、秦は「あれは君の娘なんかじゃない、化け物だ」と告げる。
そして岬の眼に飛び込んできたものは、やはり秦のいう通りの化け物なのだけれど、その化け物の乳房は大きく脹れていました・・・
例えどんな姿になった娘でも、その娘のことを思い続ける母と、例えどんな姿になったとしても、女であり続ける娘。
これは自分の考え過ぎなのかも知れないけれど、この映画に自分は「親子愛」を観たような気がします。
さて、自分のページに自分が観た映画の感想を書き連ねて以来、観終えた後に「さぁもう一度最初から観よう」と思えた作品は、このWXIIIが初めてです。
特別な能力を持った者が活躍する訳でもなければ、感動的な大団円が待っているわけでもない。
むしろ後に残るのは、結局何も出来なかったという、物悲しい結末のみ。
ですから、カッコイイレイバー戦や第2小隊の活躍・・・
はたまた、劇場版前作、前々作の押井テイストを期待していた人たちには、余り良い作品には映らなかったことでしょう。
だけどこのフィルムには間違いなく、不朽の名作としての味わい深さが鏤められています。
じっくりと腰を据えて、蕩々と語られるストーリーを咀嚼できる方には、自信を持ってお薦めできるこの作品。
映画館まで足を運ぶだけの価値は、充分に内包されています。
以上
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梅雨真っ直中の6月を、皆さんどうお過ごしですか?
自分はすっかり黴っています。
今回は、そんな最中に観てきました、『メトロポリス』の感想をタイプしたいと思います。
「心のないロボットに、愛は生まれるか。」
これがこの映画のキャッチフレーズです。
このある意味で永遠とも思えるこの命題は、手塚治虫さんからすれば、まさにど真ん中直球ストレート勝負なのでしょう。
しかし、今を生きる自分からすると、この命題は今更感があまりに強過ぎます。
その上、監督はりんたろうさんに、脚本は大友克洋さん。
はっきり言いまして、この映画の話を聞いたときには、全くと言っていいほど食指が動きませんでした。
ですが、公開前に放送されていたTVCFを観るにつけ、ハイクォリティな映像が愉しめるなぁと、思い始めました。
さて、そんな思いで観てきた『メトロポリス』。
いや、凄かったです。
何が凄いって、CGが凄いとかアニメーションが凄いとか、そういったことを凌駕するぐらいの映像が、そこには繰り広げられていました。
『マトリックス』(監督:ラリー・ウォシャウスキー&アンディー・ウォシャウスキー)のときにも、まだまだこれまでに観たことのない映像が観られるものだなぁと感心していたのですが、今回はまたそれに輪を掛けて、これまでに観たことのない映像が観られました。
2Dアニメーションと3DCGの融合は、これまでにも行われていましたが、その手法でここまでのモブシーンを映像に創り上げたのは、この『メトロポリス』が初めてでしょう。
公式ウェブページの完成記念インタビュー2によりますと、レセプション会場のモブシーンは、300人をバラバラに動かしているそうで、トップシーンはたった3秒間で1,000枚(!)の動画が用いられたそうです。
しかもこの動いているキャラクタというのが、背景の3DCGとは不似合いと言っても過言ではないほどに手塚漫画チックにデフォルメされたキャラクタばかり。
このあたりは、ディジタル技術の進歩もさることながら、これだけの偉業を成し遂げたアニメータとレイアウト作画監督に、心から拍手を送りたいと思います。
といったように、『メトロポリス』という作品は、映像的見地からはたいへん観応えのある作品でした。
しかしです・・・
物語的見地から観た場合はどうでしょうか。
ロックという人をバンバン殺していくキャラクタを出してこないと、前に進まないストーリィ。
しかもその行動原理は、男性キャラなのにファザーコンプレックスという、もう一つ共感できないもので構成されています。
また劇中では、最後まで殺人に対する倫理観が語られなかったため、この人殺しという行為が『メトロポリス』に於いて、日常的な物か非日常的な物かさえ、提示できないでいた世界観。
記憶喪失ものの典型を貫く物語骨子。
崩壊する建築物の中、高いところから落ちかけるヒロインを救おうとするシチュエーション。
これらの要素のうち、どれか一つが欠けたとしても、この作品は『メトロポリス』ではなくなってしまうのでしょう。
しかしこれらの要素はどれも、今となっては「在り来たり」という言葉で片付けられれてしまう代物です。
ですがそれを敢えて取り上げ、これだけの映像作品にまで仕上げた制作者側は、この作品を通じて視聴者にいったい何を伝えたかったのでしょうか?
「心のないロボットに、愛は生まれるか。」
キャッチフレーズを素直に受け取ると、この命題がその答えにあたると思います。
ですが、いかに映像がトップクラスであったとしても、それによって表現されている物が、他人の手垢にまみれている物では、自分の心には響いてこないです。
結局のところこの作品は、視聴者の心に楔を残すことを一位とした作品ではなく、半世紀前の手塚漫画を、最新技術によって現代に復活させることを一位においた作品なのでしょう。
しかしです、自分の周りでは概ね好評なこの作品。
特に公式掲示板では大好評です。
多くの人から「涙した」との言葉を聞きました・・・
ですからこの作品は、自分の心には届かなかったものの、より多くの人の心に、きちんと楔を残している素晴らしい作品であると思います。
ではこの違いは、いったいどこにあるのか?・・・
反論覚悟でタイプすれば、それは恐らく、手塚漫画に傾倒しているかどうかの差ではないでしょうか?
よく「手塚治虫さんは偉大な人だ」という話を耳にします。
勿論彼がいたからこそ、今日の漫画やアニメーションが、ここまでの隆盛を極めているのでしょう。
しかしです、自分は彼をそこまで特別視していません。
個人の作品に触れることに限っていえば、彼もパッ!と出の新人漫画家も、自分から見れば同じ漫画家です。
人が感じた感動を否定する気はさらさらありません。
ですが、『メトロポリス』を観て感動した人に、是非とも言いたい!
その感動が「手塚治虫作品だから」に直結していないかどうかを確かめて欲しいことと、もう一つは過去の偉人の作品だけでなく、パッ!っと出の新人の作品にも目を向けて欲しいということを。
「温故知新」をいつも心に・・・
以上
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