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2006/03/19

【感想】『ふるさと-JAPAN』

 この感想は少しだけ勇気をもって、アップしています。

 何しろ自分は、本名で活動しているのに加えて、試写会で戴いた代表室宛の葉書に、ここのパーマネントリンクを記していたりするのですから。
 つまりはこの感想を西澤監督以下、多くの関係者も眼を通すことになるんですね。
 そして、御堂会館で行われた試写会に参加していたところからも分かるように、自分も一応、この作品の関係者だったりします。
 まぁ関係者といっても、グループ会社の下っ端社員なだけですけどね。

 さて、どうしてこれだけのリスクを冒しながらこの感想をアップするのか?といえば、それはこの状況下に於いて、どこまで忌憚のない意見をアップできるのか?という、自分に対する挑戦でもあります。
 阿諛追従に慣らされた眼には、この感想が罵詈雑言に映り、このままでは自分の社会的立場が危うくなるかも知れません。
 ですが、そのリスクを乗り越える感想をアップできてこそ、自分も一人前になれるかな?という期待もあります。
 果たしてこの感想は、作り手の方達に受け容れられるでしょうか?
 これは自分にとっても作り手の方達にとっても、たいへん良い試金石になることを信じています。
 少なくともうちの社内では、阿諛追従が当たり前になっていますからね。
 自分はそれを打ち破りたい!



 2006年 3月19日(日曜日)御堂会館で鑑賞した『ふるさと-JAPAN』(監督:西澤 昭男)のファーストインプレッションは、「思っていた以上に良くできているなぁ」でした。
 この「思っていた」の基準は、製作の株式会社ワオ・コーポレーションの本業が、映像製作ではないところにあります。
 制作の株式会社ワオワールドは、アニメーション制作のために設立されたグループ会社ですが、エンドテロップに名前を見掛けるのは、卑近な例でいうと『Soul Link』(監督:所 俊克)など、映像的に低調な作品ばかりです。
 今を時めく京都アニメーション作品と比較すると、劇場用というにはいささか憚られるかも知れませんが、『ふるさと-JAPAN』の映像も終始安定していて、最後まで安心して観られる映像ではありました。
 ですのでそういった意味で、良くできているなぁと思いました。
 また音響の方も、自分はただのステレオ収録かと踏んでいたのですが、自分の記憶が正しければ DOLBY DIGITAL 収録でした。
 ただ、御堂会館の音響設備のせいか、サイドに回り込む音に乏しく、前後の音だけが強調されたちぐはぐな音響だったのが、非常に残念なところです。



 さてここからは、もう少し詳しく作品に触れていこうと思います。

 まずは作画についてですが、自分は総作画監督:釘宮 洋さんの絵を、『ジャングルはいつもハレのちグゥ』(監督:水島 努)シリーズぐらいでしか観たことなかったので、釘宮さんがリアル志向で描くとこうなるのかと興味深かったです。
 ちなみに自分は、釘宮さんが総作画監督を務められた前作、『NITABOH 仁太坊-津軽三味線始祖外聞』(監督:西澤 昭男)を鑑賞しておりません。
 ですが、流石の釘宮さんでも、キャラクタの見分けが付きにくいという、リアル志向ならではのデメリットを解消し切れていないと感じました。
 特に夜間の喧嘩シーンでは色の明度が落ちてしまって、余計にキャラクタの見分けが付きにくかったです。

 次に音響といいますか役者についてですが、最初、子供同士の掛け合いが、いかにも抜き取りのような継ぎ接ぎ感がしまして、これでよく音響監督のOKが出たなぁと感じました。
 ですがこの継ぎ接ぎ感は時間を追うごとに解消され、最後には違和感なく掛け合いの演技を愉しむことが出来ました。
 これは子役の方達の"慣れ"によるものだったのか、それとも自分の方の"慣れ"によるものだったのか?…
 ちなみに音響監督は、本編にも紙芝居のおじさん役で出演されていました塩屋 翼さん。
 Wikipedia によりますと塩屋さんは、『バジリスク ~甲賀忍法帖~』(監督:木崎 文智)でも、音響監督を務められていたようです。

 最後に演出についてですが、自分にとって『ふるさと-JAPAN』は、初めて触れる西澤昭男監督作品ですので、西澤さんの作風やカラーといったものが掴み切れていません。
 これはその上での感想なのですが、映像の流れが非常に一定テンポだと感じました。
 全体の尺に対する時間密度のアンジュレーションが、とても小さいんだと思います。
 しかしながら、フランス映画の例を出すまでもなく、映像の一定テンポ感は大きな魅力となります。
 フランス映画は同じ俎上にないので、同じ日本のアニメーションで例を挙げると、『せんせいのお時間』(監督:岩崎 良明)に於ける4コマ漫画感や、『ARIA The ANIMATION』(監督:佐藤 順一)に於けるヒーリングなど、一定テンポ感には何らかの意図を感じますし、それが作品の大きな魅力になっています。
 では、『ふるさと-JAPAN』の一定テンポ感はどうだったかというと、自分にはそこから、何かしらの意図を汲み取ることが出来ませんでした。
 歯に衣着せぬいい方をすると、映像を作りなれていないが故の、一定テンポ感だと感じています。
 どのシーンにも均等に力を注いでしまったがために"魅せ場"がない。といえば、伝わりやすいでしょうか?
 ゆったりとした童謡をフルコーラスで何曲も聴かせるのであれば、他のシーンはもっとアップテンポにするなどしてメリハリを付けた方が、よりゆったりとした童謡シーンが際立ったのではないか?と思っています。
 このゆったりとした童謡シーンが良かっただけに、その思いはよりいっそう強くなっています。

 また、ステレオタイプな絵コンテが気になりました。
 特に象徴的だったのは、みんなで輪になって空を見上げているラストシーンです。
 その輪になって空を見上げているみんなを、真上からカメラが見下ろしています。
 そしてカメラがそのまま上空に引いて、周りの道や建物が次々とフレームインしていき、最後には街全体を真上から見下ろす絵になりました。
 こういった映像は撮影台の上で撮影していた時代には難しく、今のコンピュータ上でコンポジットする時代になって、ようやく簡単に手に入るようになった映像です。
 ですのでこういった絵コンテは、今なら誰でもが切れるものであり、またそのシーンが印象的なものになりますので、それを魂のいる場所の表現に用いることは良いことと思います。
 ですが、このラストシーンにこの絵コンテを用いることはそれ以上に、損失の方が大きいと感じています。
 失ったもの。
 それは、リアリティという名の世界観です。
 制作ノートを見ずとも、『ふるさと-JAPAN』がリアリティを志向していることは、このフィルムに色濃く反映されています。
 そしてそのリアリティを、このラストシーンは潰しに掛かっています。
 シチュエーションは合唱大会終了後であるのですから、三々五々と帰路につく人の姿が見えてもいいはずです。
 ですが、輪になったみんなの周りには誰もいませんし、それどころか、後からフレームインしてきた街並みにも、人の姿や気配は皆無でした。
 あれでは木場ではなく、ゴーストタウンだと思います。

 また、各キャラクタが輪になって真上を見上げていて、それをカメラが真上から見下ろしているのですが、ラストシーンであるにも関わらず、この構図がまるで自分の心に響いてきませんでした。
 そもそも、真上を向いている人を真上から捉える構図を"魅せる"のには、それ相応のテクニックが要求されます。
 つまりこの構図は、とても難しいのです。
 にも関わらず、それを捻りもなく、そのままストレートに描いてしまっている。
 また、後でカメラが引くことを意識してか、この真上からの見下ろし絵には最初から、被写界深度が深く取られていましたし、この構図なら画面中央に必ずあるはずのヴァニシングポイントが見当たりませんでした。
 そのためこのシーンのファーストカットは、カメラが被写体に寄っているにも関わらず上記の理由で、何とも締まりのない映像になっていました。

 これらの理由からあのラストシーンは、リアリティをもってそれまで積み上げてきたこの作品の世界観を台無しにするのに充分であったと、自分は捉えています。
 そして作り手側はその世界観以上に、魂のいる場所を表現したかったのだとも捉えています。

 これらを両立する、快刀乱麻を断つ絵コンテは、本当に存在しなかったのでしょうか?



 『ふるさと-JAPAN』が目指したもの・・・

 これは監督インタビューの中で、明確に語られています。
 それは、「エデュテインメント(エデュケーション&エンターテインメント)」です。
 では『ふるさと-JAPAN』は、この目標を達成できたのでしょうか?
 自分は、この作品だけを観れば、充分に達成されていたと捉えています。
 ですが作品を語るのに、送り手と受け手だけでは片手落ちだと考えます。
 そこに今を取り巻く環境を含めて、初めて作品が立ってくると考えています。
 では、その環境も含めて、『ふるさと-JAPAN』はどうだったのかというと、自分はエデュテインメントを目指すには、いささかパワー不足であったと感じています。
 といいますのも、当時のことは分かりませんが、今やテレビは各家庭どころか各部屋ごとにある家庭が多く、その電源を入れればいつでもテンポの速い刺激の強い映像が手に入ります。
 また、インターネットに眼を向ければ、テレビでは放送できないような映像が、それこそ本当にいつでも手に入ります。
 さて、生まれたときからそんな環境におかれている今の子供達の眼に、『ふるさと-JAPAN』の映像はどのように映ったのでしょうか?
 もちろん本当のところは、その子供達に訊くしかありません。
 ですのでこれは、自分がただそう感じているだけなのですが、『ふるさと-JAPAN』の映像では、エンターテインメントに載せてエデュケーションを届け切れなさそうです。
 というのも、映像が非常にフラットだからです。
 これはもっと刺激の強い映像を!という意味ではなく、繰り返しになりますが、子供達を最後まで魅き付けるだけのアンジュレーションが必要だったのでは?という意味です。
 『ふるさと-JAPAN』は作品内の流れに緩急が乏しいので、飽きやすい子供達には途中で、そっぽを向かれてしまいそうです。
 その代わり、どっぷりと腰を据えて作品を咀嚼しながら観る分には、丁度良いかも知れません。
 もっというと映像志向ではなく、いかにも文章志向で作られた、まるで長岡康史監督の星界シリーズを彷彿させる映像作品です。
 子供達のためのエデュテインメントを目指す映像作品であるならば、まずはその映像自身が、今の子供達の心をガッチリと掴むところからだと思います。
 そして作品を最後まで、飽きさせずに"魅せる"こと。
 そういった映像エンターテインメントによる下地が整ってこそ、ようやくその上に載るエデュケーションについてを語れるのだと思います。
 皮肉なことに『ふるさと-JAPAN』は、エデュケーション面が非常に充実しています。
 だからこそ、エンターテインメント面でのパワー不足が、非常に気になるところです。

 また、もう一つ気になっているところは、オフィシャルページが海外の映画祭にフォーカスされているところです。
 この『ふるさと-JAPAN』が本当に「子供達のため」の作品であるならば、たくさんの大人達からの讃辞よりも、数が少なくても子供達からの「ありがとう」の方が本懐であると、自分は思います。

 以上。 2006/05/03(Wed) Up.



 ということで、色々とタイプしてきたのですが・・・
 読み返してみると、多少なりとも厳しいかな?と思うところがあります。
 ですが、うちの親会社が本気になって製作した作品なのですから、子会社の下っ端社員も、本気になって臨まないと作品に対して失礼だと思い、こういったエントリに纏めてみました。
 他のエントリを一瞥して頂ければ伝わると思うのですが、基本的に自分は、賞賛寄りのエントリしかアップしない方針です。
 批判的なエントリをアップしているときには、それ相応の理由と覚悟をもってアップしているつもりです。
 そして今、それ相応の理由と覚悟をもって、このエントリに臨んでいます。

 自分は文句をいうためだけに、こんなにたくさんの時間を割いて、このエントリをアップしたりはしません。
 『ふるさと-JAPAN』には、きらり!と光る部分がたくさんあるからこそ、そこを生かすために、そうではない部分を指摘していると思って頂ければ幸いです。


 それでは、よしなに。(敬称略)

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