« 【感想】『英國戀物語エマ』第六章~訪問~ | トップページ | 【感想】『フタコイ オルタナティブ』第6話「どうして好きなのに別れちゃったの?」 »

2005/05/11

『METAL SLADER GLORY』と『AIR』-AVGのこれから…

『AIR』公式攻略ガイド電撃PlayStation 先日来、OLD Dancer's BLOG「宅配事故?」のコメントにて、AVG(アドヴェンチャゲーム)に関するディスカッションが、活発に行われています。
 繰り返しますが、エントリそのものではなくコメントにて行われています。
 ちなみに自分は、こちらで皆さんに脅されて勧められて、PlayStation2『AIR』(2002 VisualArt's/Key/NECインターチャネル)を購入した次第です。

 さて、ディスカッションが活発に行われた結果、浅学の自分には手が届かない話になってきました。
 そこで仕切り直しというか、自分もディスカッションに加わるべく、新たに、自分の手が届く範囲でエントリを認めてみようと思います。
 ということでこのエントリをお読みになる前には、非常に長いのですが、まずは「宅配事故?」のコメントをお読み下さい。



『CLANNAD』ビジュアルファンブック まず最初に、以前にもお話しした通り、自分のAVGに於けるリファレンスソフトは、『METAL SLADER GLORY』(1991 HAL LABORATORY INC.)です。
 次に『AIR』(2000 VisualArt's/Key)というか、VisualArt's/Keyのソフトは、バック(背景)にキャラクタ(人物)とメッセージウィンドゥ(吹き出し)を重ねてというスタイルに、良い意味で拘りを持っています。
 その代わり、膨大なシナリオにヴィジュアルの枚数が追い付かないなど、多くの弊害も見受けられます。

 ここで注目して欲しいのは、この拘りのために、トレードオフになっている部分です。
 細かいところまで追究していくと切りがないようですが、大局的に見てどうやら、シナリオとヴィジュアルのパワーバランスが悪いようです。
 つまり、ヴィジュアルよりもシナリオを優先している。
 この傾向は、最新作の『CLANNAD』(2004 VisualArt's/Key)でよりいっそう、強くなっているようです。
 人が何かを取捨選択するとき、そこにその人の人となりが強く表れていると思います。
 バックとキャラクタの被写界深度が大きく掛け離れてしまい、不自然に見えることさえも辞さない拘り。
 シナリオでは子供達が何人も登場しているのにも関わらず、画面には全くキャラクタが映らない不自然さをも辞さない拘り。
 このVisualArt's/Keyの選択は果たして、AVGとしての拘りなのでしょうか?…
 こんなにもヴィジュアルを蔑ろにする選択は果たして、AVGとしての拘りなのでしょうか?…
 自分は違うと思います。
 これを強いていうならば、AVGへの拘りではなく、VisualArt's/Keyとしての拘りなのでは?
 つまりジャンルそのものがもう、VisualArt's/Key!

 『AIR』は、AVGとしてはもう一つですが、VisualArt's/Keyとしては一級の作品だと思いたいです。

 そして、マシンスペックがこれだけ上がり、これだけの表現力を手に入れた今だからこそ、当たり前のことを当たり前に表現していた『METAL SLADER GLORY』をもう一度、見直すべきだと思います。
 当たり前のことを当たり前に表現する。
 これって物凄く重要なことだと思います。



※ 参考画面写真
AIRMETAL 左の写真は、SONY KD-36HD900 を直接 Vodafone V602SH by SHARP で撮影しているため、たいへん見づらいのですが、どうかご容赦を。

 さて、左がPlayStation2『AIR』、右がFamicom『METAL SLADER GLORY』です。
 前者はコンポーネント接続、後者はコンポジット接続の2画面表示です。
 『AIR』の解説は必要ないと思うので、今回は『METAL SLADER GLORY』に絞ります。
 画面左側に立っているのが、ヒロイン:エリナ・ファーファです。
 その向こう、画面中央にいるのが主人公の妹:日向あずさで、その右にいるのが名もない少年です。
 エリナが今こちらを向いているのは、プレイヤである主人公:日向忠と会話をしているからでして、これがあずさとの会話になると、エリナはあずさの方を向きます。
 また、目パク口パクは、メッセージと完全同期しています。
 これは手前のエリナだけでなく、奥にいるあずさも同様です。
 恐らくあずさの口は1ドットしかないと思うのですが、それが口パクしています。
 更にこのとき、エリナの眉と瞳と口がアニメーションすることによって、会話内容に合わせて表情が変化します。
 これは『AIR』のようなグラフィクスの切り替えではなく、アニメーションによる表現です。
 しかもこれが、イヴェントシーンだけではなく、全編にわたってこの仕様が貫かれています。

 対して、画面左の神尾家の居間は、かなりパースが付いているのにも関わらず、キャラクタにはそれが付いていません。
 また、この晴子と観鈴は、最後まで目を合わせることなく、会話を続けています。
 これが自分にはいたく不自然に見えるのですが、全編に対してこれが貫かれていると、気にならなくなるのでしょう。

 このように、マシンスペックは比較にならないはずなのに、表現されている内容は、その真逆の様相を呈しています。
 AVGというスタイルを貫くのであれば、せめて『METAL SLADER GLORY』ぐらいの表現が欲しいところです。


 それでは、よしなに。(敬称略)

|

« 【感想】『英國戀物語エマ』第六章~訪問~ | トップページ | 【感想】『フタコイ オルタナティブ』第6話「どうして好きなのに別れちゃったの?」 »

『AIR』」カテゴリの記事

ゲーム」カテゴリの記事

コメント

 どうも、神谷です。
 AVGに関してはここ1~2年からはいった新参者の為か、宅配事故?の方は、色々学ぶことがあってうれしい限りですが、素人レベルではなかなかコメントが難しくなってきて、うれしいやら悲しいやら(笑
 記事の内容についてコメントしたいところですが、まだまだ知識と言いたい事が上手く合致しない状況ですので、しばらくは静観することになりそうです。
 逆に、読書家という長所を活かして、別の側面を語っていければと考えておりますので、そのときは(?)よしなに。

投稿: 神谷 圭 | 2005/05/12 01:04

こんばんは、結城レイです。
私はAVGは鍵系しかしてないのでなんとも答えにくいのですが、鍵系については少しだけでもコメントしてみます。

Airですが、重要であろうキャラクタやアイテムもかなりヴィジュアルが端折られてますよね。でも、この端折りも私は楽しんじゃって居たりします。

例をあげるとすると、件のオープニングで、アニメでは少年少女が数人登場してますけど、あれは原作だと2人だけであることに気が付いているでしょうか?
アニメでは違いましたが、ゲームでは子供に人形を蹴られることで、往人と観鈴が出会うわけです。
この、出会いを演出した2人・・・私は彼らがあの、堤防にいる観鈴に手を振った子供達だと思って居たりします(アニメ版だとこの解釈は出来ませんけどね)

こんな風に楽しむことが出来るのは、ヴィジュアルとして表現されていないからだと思います。
・・・でもまぁ、倉等くらいになると流石に、絵の少なさが目に付いちゃいましたけどね。

投稿: 結城 レイ | 2005/05/12 02:22

こちらに書き込みさせて頂くのが初めてなのが不思議でたまらないのですが、こちらでは初めまして、はぐれです。

Akihiro Inda.さんのリファレンスソフト『METAL SLADER GLORY』については名前しかしらないので現在のAVGとの比較はできないのですが…(電撃文庫で同名の小説がありましたがあれと同じなのかな?)

シナリオとヴィジュアルの関係ですが…どちらを重視するか?というのはあるかもしれませんね。
RPG等でもゲーム性を重視するがあまり話にのめり込めない、という話がありますし(この場合のRPGというのはドラクエ等のタイプのゲーム)
ただ単に、「AVG」というスタイルより、いわゆる「ビジュアルノベル」という形式をとってるいるだけかもしれません。よくゲームじゃなく小説である、という意見も見ますし。確かにゲーム性は無いですが、それ故に話にのめり込める。全てを書かなくともそこは小説の行間を読むのと同様に想像で埋める。それは苦ではなくむしろ楽しいですしね。これを受け入れられるか否か。問題はそこになるのだと思います。
AVGではなく、絵と音がついた主観で読める小説…恐らくkeyのゲームやいわゆる泣きゲーといわれる作品はそういうスタイルなのでしょう。

…書いててAkihiro Inda.さんの書いてることと一緒じゃないかと気付いたのは後の祭りさ…

投稿: はぐれ | 2005/05/12 02:59

はじめまして。ごすです。
こちらのログも全部読ませて頂いております。

ゲームに関しては、皆さんの知識・経験には敵わないところがありますんで、私の意見は視野の狭い主観ですと前置きを・・・w

私は、さほど多くないCGはテキストを読みながら脳内補完しつつプレイする事(「行間を読む」「コマ間を観る」こと)での物語の広がりを考えると、このスタイルも決して悪いとは思わないのです。ゲームの進め方に到っては、時間的にせっつかれる事が少ないので、これ程ユーザーにありがたい物はないかとも感じましたw

PC版SEはとっても安価でしたし。はっきり言ってフルヴォイス・フルアニメとかだったら、疲れてしまいそう。

  (本日はこれにて おやすみなさい orz)

投稿: ごす | 2005/05/12 03:50

 皆さん、こんばんは。

 参考画面写真をアップしました。
 さて、皆さんのコメントを読んで思ったことは、きちんと表現されている作品に対して、行間を読むことは出来ないのかな?ということです。
 自分はいくらでも可能だと思っています。
 何しろ、人の想像力は無限大ですから。

 それともう一点。
 例えば『AIR』に対して、シナリオ上必要と思われるヴィジュアルを総て用意しても、トレードオフはないと思うのですが、いかがでしょうか?


 それでは、よしなに。

 P.S. はぐれさんが仰っているのは、電撃コミックス「最終機攻兵メタルスレイダーグローリー[エイミアの面影]」ですね。

投稿: Akihiro Inda. | 2005/05/12 21:23

>AVGへの拘りではなく、VisualArt's/Keyとしての拘り
ちょっと違うかな。AIRは、作家性の強く出た作品で、シナリオ、絵、音楽に相互の影響が見て取れるのが特徴です。ただし残念ながら、そのメンバーにゲーム表現のスペシャリストはいなかったようです。拘りなんてカッコ良い言葉ではなく、別にやりたいと思う人がいなかった、というのが正しいと思われます。ただ、立ち絵表現に関してはそう言えても、人形や小学生のグラフィックが無いことには、別な理由があると思われます。少し切り離して考えた方がまとまると思います。

==========================
ファーストインプレッションの方で書きましたが、ゲーム版AIRは抽象的なイメージの膨らみを重視したシナリオになっています。それを受けて、固有名詞のつくキャラ(ポテトもか)以外にはグラフィックが無く、存在すら危ういくらいなのですが、いわゆる箱庭感、現実離れした擬似的な空間を感じさせる一つの要因です。イメージには自由に広げられるだけの揺らぎがあり、これが良かれ悪かれ、Key作品の「味」になっているのは、多くの批評で分かると思います。

METAL~には触れる機会は無かったのですが、どうやら、SF系のコマンド選択型AVGのようですね。読まれる順番に依存しない(=イメージがぶれにくい)、現実を重視したテキストが組まれていると想像します。それを受けて、いかに表現するかを、ゲームのスペシャリストらしいアプローチで成されているのだと思われます。

アニメ版AIRでは、ゲーム版で描かれなかったものが丁寧に描かれ、箱庭感は薄れ、謎解きのためのイメージも挿入されており、幾分か一般的に受け入れられやすい形になっています。ただ、それと引き換え(トレードオフ)に、抽象的なイメージの追求に関しては、あまり気にする必要がありません。AIRの感動を率直に伝える方法論として、正しいとも言えます。
==========================
小学生はともかく、人形の絵はあった方が良いと思いますが、無くてもそれが味になるといったところで天秤に掛けられ、省力やキャラゲーの理論で排除されたと思われます。登場回数の少ないぬいぐるみは描かれるので。(笑
当然、拒否反応を起こさせやすい選択だったと思います。

>行間を読む
私も、どの作品でも行間は読めると思います。METAL~ならMETAL、AIRならAIRなりの。作品の方向性が、形而上か形而下かで分かれているため、同じ読み方ではないと思いますが。

投稿: やじ | 2005/05/12 23:15

>画面左の神尾家の居間は、かなりパースが付いているのにも関わらず、キャラクタにはそれが付いていません。
>また、この晴子と観鈴は、最後まで目を合わせることなく、会話を続けています。

AVGといっても全画面のビジュアルノベル形式(かまいたちの
夜等)か一般的なフレーム形式かによってこの辺りの事情は
異なりますし、ゲームそのものの方向性によっても異なる
(特に最近はアニメ的漫画的文脈で読まれる物も多い)ので
すが、この手のゲームのプレイヤーに慣れている人はゲー
ム画面そのものを目の前で起きている光景だとは認識しません。
「観鈴がいる」「笑っている」「背景は室内」という情報を
コンセプチュアルにとらえて、文章をベースに脳内で無意識
に再構成します。
ちなみにプレイヤーの意識の中心は文章にあります。
その根拠というわけでは無いですが、ニトロプラスが
自社のゲームのファントムに「吹き出し形式」を採用した
理由の一つが「プレイヤーが文章に視点が行ってて表情が変
わったことに(せいぜい変わったな、程度しか)気づいてくれないから」でした。
(ちなみに、その後ニトロプラスは定着を理由に全文表示に回帰しています)
なので「文章を手がかりに映像を再構成」するというよりは
「映像的情報を手がかりに文章のコンテキストを決定」する。
という方がより近いということです。
(もちろん文章からはある程度映像に近い物は浮かぶので
すが。)
あちらのコメントの方に書いたキャラクターのグラフィック
はアニメよりも記号性が高い方がいい、というのは、
このような鑑賞の構造に起因しています。

なので「慣れて不自然さが気にならなくなる」というよりは
「鑑賞の構造が無意識に学習されていく」というのが近い気がします。

投稿: やん | 2005/05/13 01:11

>「慣れて不自然さが気にならなくなる」というよりは「鑑賞の構造が無意識に学習されていく」

そうだと思います。ただ、ある意味洗練された表現なのですが、妥協で進化を止めたものか?というのが主な論点かと思われます。もう少しどうにかならんかいな?と。立ち絵は表現として以後も残り続けるでしょうが、デッドエンドとは考えたくないですね。

未プレイですが、漫画技法を取り入れた白詰草話のFFDというのは確かに魅力的ですね。いくらデータ入稿が進んだとはいえ、紙媒体である漫画からデータへの展開は商業的にハードルが高いため、データ形式と親和性の高いゲーム業界から突破口を見出しているとも言えます。ただ内容としては、吹き出し形式や全画面形式と比べて、FFDは小説と漫画といったような住み分けになるでしょうかね。シナリオライターには、あまり受けの良い形式ではないかもしれません。

投稿: やじ | 2005/05/13 02:08

> 例えば『AIR』に対して、シナリオ上必要と思われる
>ヴィジュアルを総て用意しても、トレードオフはないと思
>うのですが、いかがでしょうか?

「シナリオ上必要と思われるヴィジュアル」というのが、
どこまでの範囲なのかにもよりますが。(例えば極端ですが
AIRに関しては恐らく麻枝准にとってシナリオ上必要と思わ
れるビジュアルは基本的に殆ど用意されているはずです。)
例に上がってたような、子供たちや人形については
安易にヴィジュアルは用意すべきでは無いと思います。
(注:もちろん、そのフォーマットに合わせるためにシナリオ
や演出まで変更していいのであれば、不自然さは排除できるし、
他のメリットも出てくると思いますが、
それは「AIRのような別の何か」だと思います。
その作品がダメだとはいいませんし、
TVアニメ版AIRが実際にいい意味での「AIRのような別の何か」でもあるのですが。)

1)子供たちを立ち絵で表現する場合について。
このゲームでは立ち絵が与えられている人物は特権的な
役割を持っています。
そして、それはこのゲームに限ったことでは無くて
他のゲームでも似たような例はいくらでもあり、
これはひとつのパターンとなっています。
このパターンの起源はもしかしたらグラフィック数を減ら
したいという開発上の都合だったりするのかもしれませんが、
それはとりあえずとして、このようなパターンが定着してい
るために、このようなゲームをプレイしていると自然とその
パターンが想起されて「あ、立ち絵が出てきた。この人物は
重要なんだな。」とか思ったり、立ち絵の無い人物に対し
てはあまり注視(重要じゃないんだな、とすら思わない)
しないで、無意識にマウスのクリックを若干早めたりするわけです。
このように、立ち絵の有無は、そのキャラクターへのプレイ
ヤーの意識付けに影響を与えています。
#で、だからどうでもいい子供に対しては立ち絵を与えるべきじゃない、
と言いたいわけではありません。
このようなプレイヤーの意識を利用して興味深い事が出来ます。
Keyの前身であるtacticsが作ったONEという作品があるのですが、
主人公と一緒に住んでいる叔母さんには立ち絵がありません。
これは普通に考えれば設定上不自然です。
ただ、プレイするとこれが自然に感じてしまう。
詰まるところ麻枝准はこれを意図的にやっていて、
主人公と叔母さんが心理的には限りなく無関係な事を
かのように表現しているのだと解釈出来ます。
(ちなみに、この解釈はONE解釈のリンク集を辿って見つけたも
のでオリジナルではありませんし、必ずしも正しいとも限りません。
ただ、そのような解釈を許す下地がある。という事です。)
このように意識付けを作品の理解を深めるために使う場合もあれば、
ちょっと捻ってミスリーディングに使う場合もあります。
つまり「立ち絵が無いんだからこの人物は重要じゃないのかな」と
思わせといて・・・。って事ですね。
これはAIR編の子供たちがそうです。あの子供たちはアニメ版の
10話でシルエットが描かれてしまいましたが、原作のあの場面では
立ち絵も1枚絵もありません。
シーンそのものは印象的に描かれているのですが、子供たちの
気配自体は希薄で、若干のひっかかりを覚えつつも、さして意識す
ることなくプレイヤーは次のシーンへと移ります。
で、ラストシーンの1枚絵で「あ、あいつらか!!」と驚くわけ
です。簡単にいえば、このゲームのフォーマットに合わせた叙述トリックですね。
(というかもっと分かりやすい「立ち絵を描いてはいけない理由
のある特権的キャラクター」がONEやCLANNADには登場するのですが、
思いっきりネタバレなので詳しくはやめときます。)
で、dream最初の(わりとどうでもいい)子供を描いちゃうと、そ
のようなパターンを想起させることが、出来ないばかりか最初の
子供を描いたのに、AIR編の子供を描かないと逆に意味深くなって
しまいギミックが成立しなくなるので、アニメ版のAIRみたいに素
直に分かりやすく描いちゃうはめになるわけです。

とりあえずこの辺で一旦投稿。3時間ぐらいかかった・・。乱筆長文失礼。

投稿: やん | 2005/05/13 04:15

この形式はこの形式としても、別のフォーマットが出てきてもいい気はしますよね。
プログラマーがおらず出来合いの汎用AVGエンジンを
使っているKeyにはそういう面ではちょっと期待出来ないので
他の技術力ある所(会社・同人問わず)に頑張って貰いたい所。

ゲームでは無いですが、こういうWEBマンガもありますね。
こんな「紙芝居+アニメ」の形式なんてゲームと意外に
親和性が高いかもしれない。

最近の美少女ゲームはアニメ志向なので、そっちの方向性
ではそのうち何か出てくるんじゃないかという気がします。
「ほしのこえ」の向こう側が見えてくるのか興味があります。

あと従来のAVGも動きが止まっているわけでは無くて
美少女ゲームにおける実験的な試みに挑戦しているらしい
Liar-softの腐り姫というゲームでは立ち絵が廃され遠近感
を持って配置されているそうです。

あと、あっちのコメントにも描きましたが、
らぶデスは技術的に大変革新的で、3Dキャラをトゥーン
レンダリングでリアルタイムに動かしてあたかも2Dアニ
メーションのような演出を実現しています。
立ち絵は使われている場面と使われていない場面がありますが、
どちらにしてもヴォイス付きの台詞に合わせて口パクどこ
ろか全身でアニメーションします。
いまのゲームの画質で2Dのフルアニメーション
なんてさせたらとてもDVDに収まりそうにない
(といっても、らぶデスでもインストールするのに4GB
必要)ので、この手法には可能性を感じます。

投稿: やん | 2005/05/13 05:29

 皆さん、こんばんは。

 シナリオヴォリュームに対してグラフィクスが足らないというデメリットを、積極的にメリットとして活かすような、そんな取り組みをしているんだなぁと、やじさんややんさんのコメントを読んで思いました。

 また、「コンセプチュアルに捉えて再構成」というのは、小劇場でのお芝居のようなものでしょうか?
 例えば、突き出された小道具の剣を、自分の腋に挟んで、あたかも自分の胸を刺されたような演技をする。
 もちろん観客は、剣を腋に挟んでいることは分かっているけど、それは刺されたと知覚する。

 ただこれを、AVGに対して「鑑賞の構造が無意識に学習されていく」といわれると、自分はそこに違和感を感じます。
 その違和感をうまく表現できるかどうかは分からないのですが、タイプしてみます。

 自分が例に出した、小劇場でのお芝居。
 その芝居を追求するために、出来る限り本物に近い剣を用意することは、可能だと思います。
 ですが、当然のことながら、実際に剣を胸に刺すことは出来ません。
 翻って『AIR』。
 相応のグラフィクスを用意することは、手間や暇を掛ければ、可能だったと思います。(一番はお金の問題かな?)
 簡単ではないにしても、出来ることをしてないというのが、どうしても自分にはデメリットに見えてしまいます。
 そしてそれに対するソリューション(≒問題解決)が、グラフィクスのないことに意味を持たせることという。
 これがどうも自分には、ネガティヴなアプローチに感じられます。
 FC程度のスペックであれば、それも致し方ないと思います。
 ですが、今のスペックを持ってすれば、総てのグラフィクスを用意してもなお、キャラクタの重要性や存在感を描き分けることは、可能だと思います。

 だけど・・・じゃぁ『AIR』の進化の方向性は間違いなのか?と訊かれると、そんなことはないと思います。
 表現に対して、正解も間違いもないのですから。
 ですが、それでも自分がその方向性をネガティヴに感じるのは、AVGに限らず、コンピュータゲームというエンタテインメント自体が、テクノロジーの進化と密接に絡んでいるからかと。
 それを活かしていないというのが、とてもネガティヴに感じてしまいます。

 『AIR』は確かに、コンピュータ上でないと表現できないエンタテインメントです。
 ですがそのソリューションが、非常に古典的な方法ではないかと。
 TVシリーズからの印象ですが、あれだけの内容を表現するのならば、他にもっと相応しいソリューションがあったのではないかと思うのです。
 だけど『AIR』は、間違いなく多くの人に受け容れられている。
 やはり自分はマイノリティか・・・

 1991年に『METAL SLADER GLORY』に出会い、2005年にTVシリーズ『AIR』に出会った自分からすると、2002年のPlayStation2『AIR』は、どうもしっくりとこない。
 やんさんがTVシリーズを指して、「AIRのような別の何か」といわれたように、自分にとっては、PlayStation2『AIR』こそが、「AIRのような別の何か」です。
 だけどオリジナルは、PlayStation2の方。(正しくはWindows版?)
 今日もこのギャップを埋めるべく、DUALSHOCK2を握るのでした。


 それでは、よしなに。

投稿: Akihiro Inda. | 2005/05/14 02:43

AIRに関して食い違っているようですね。私はもう少し大きな範囲で捉えていました。ということで、一旦AIRに戻ります。

ゲーム版AIRは、作家のやりたいことに注力した、不親切な仕上がりの作品です。アニメ版AIRは伝言ゲームよろしく、伝えることを意識した親切な作品です。そういった意味で相互に不満を持つのは必然とも言えるでしょう。ただ、アニメ版で得た見事な回答と比較するのは少々乱暴ですね。AIRはゲームとしては異端でありましたが、新機軸を打ち出したからではなく、脚本、音、絵の作家性の強烈な個性を見せ付けたからです。もしもAIRが新しいフォーマットを宣言した作品であるならば、このような議論は有効だと思うのですが、そうではありません。絵や演出が丁寧ならばより面白い作品になる可能性があるのには同意しますが、ゲーム版がその逆を手法としている限りは、それ以上の議論は現時点で進まないと思います。短剣の例を挙げられていましたが、その短剣の見た目が作品の面白さにどの程度影響しているかを推し量らないと、木を見て森を見てないか、核心を突いているかは判断できかねるように思います。やり終えた後でも、意図が見え隠れするので、議論は想像の域を越えないと思っていますが。

Akihiroさんの問いかけには概ね賛成ですが、AIRの中のみで、実在しないゲームについて賛否を比較したり、過去に遡って比較することはナンセンスだと思っています。そういった意味で、AVG全体の議論を進めた方が良いのだな、と勝手に思っていました。

投稿: やじ | 2005/05/14 22:31

前のコメントにも書きましたが、グラフィックの数と立ち絵表現については切り離して考えた方が良いと思います。
「鑑賞の構造が無意識に学習されていく」
これは立ち絵表現についてであって、短剣というよりも、舞台セットを例に挙げた方がよろしいかと思われます。観客側が切れているのが当然であり、演技者も観客の方にアピールしますが、観客は当然のものとして受け取ります。吉本なんかではギャグに使いますしね(笑

立ち絵の特権性については、短剣がちょうどよろしいかと思われます。当然、単純な省力も含みますが、AIRについては、徹底することで違う効果を入れようとしています。成功か不成功かは、個人の受け取り方次第のリスクの高いものですね。

投稿: やじ | 2005/05/14 22:44

語りたいことは沢山あったのですが、ちょっと纏まらない(話も一人でずれていきそう)ので、とりあえず先にポツポツレスの方を。

>相応のグラフィクスを用意することは、手間や暇を掛けれ
>ば、可能だったと思います。(一番はお金の問題かな?)

クラナドは明らかに少ないと思いますし、そのような声も多い
(公式サイトにすら書いてありますし(笑))のですが、
AIRで表現しようとしていることを伝えるにあたっては
必要十分のグラフィック数だと開発者は考えていたと思います。
(シナリオボリューム比で考えると少ないのですが、
そのような定量的な測定はあまり意味が無いでしょう。)
お金が問題だからやらなかったという
ネガティブな理由だとは思えませんし、
金があってもやらなかっただろう、と思います。
欠点をカバーしている、という意識も無いでしょう。
小説で挿絵をむやみに増やさないのと同じです。

(ちなみに、仮にグラフィック数を増やすとしたら
問題となるのはお金じゃなくて開発期間だと思います。
キャラクターはすべて原画の樋上いたるが描いているので。)

投稿: やん | 2005/05/15 01:29

この形式のゲームプレイの特殊な感覚を表現する、
というのが中々難しく、どうも抽象的な表現にな
ってしまうんですが・・。

> また、「コンセプチュアルに捉えて再構成」というのは、小劇場でのお芝居のようなものでしょうか?
> 例えば、突き出された小道具の剣を、自分の腋に挟んで、あたかも自分の胸を刺されたような演技をする。
> もちろん観客は、剣を腋に挟んでいることは分かっているけど、それは刺されたと知覚する。

認識:「剣を腋に挟んでいる」=「(会話の際に)目を合わせない」
知覚:「剣が刺さっている」=「目を合わせている」
つまり「認識とは違う状況を知覚する」という捉え方ですよね?
これは違います。

「認識とは違う状況を知覚する」のではなく。
「目を合わせていない」なんて認識がそもそも無いのです。

そもそも文字を除いた視覚的情報が
「観鈴がいる」「笑っている」「背景は室内」しか無いのですから。
ちなみに東浩紀が「動物化するポストモダン」で、このような画像を用いてノベルゲームはポストモダンで言う
所のデータベースモデルだと表現していました。
(なお本の中ではポストモダンとノベルゲームの符号については別に論じる、として詳しく述べられていません)
この感覚はより近いと思います。
このような「属性」を元に「脳内で二次創作する(元長柾木)」というイメージなのですが、うーん分かりにくいですね。

#データベース的な世界では属性は超平面的(パースペクティブを必要としない。)に並べられ
#『「スーパーフラット」空間においては、コンテクスト的統制が圧倒的に優位(斉藤環)』になる
#といった事をテーマに文章を書いているときに、
#スーパーフラットの字義を調べたらなんか、
#自分が思ってたのと若干ずれてたのでボツ(笑)

投稿: やん | 2005/05/15 02:22

ちなみに元長柾木さんは
『「美少女ゲーム」とは何か』
『「美少女ゲーム」を作る・プレイする僕達は何か』
『「美少女ゲーム」を作る・プレイする僕達が前提としている社会とは何か』
という事に極めて自覚的な美少女ゲームの企画者・シナリオライターです。
この方の作品も「美少女ゲーム業界で作家と呼べるのは
麻枝准と元長柾木だけだ(佐藤心)」といわれるほど作家性
が極めて強いことで有名です。

AIRの進化の方向性がテーマや方法論の両面で正しかったの
かどうか、はまだ誰にも分かりませんが、
興味深い話があるので引用しときます。例にならって「美少女ゲームの臨界点」から。

更科 『AIR』に辿り着いたときに、すごく煮詰まってしまったな、という印象があった。
東  それだけに傑作なんじゃないですか?
更科 確かに、『AIR』はすばらしい作品です。ただ、その
   すばらしさゆえに煮詰まってしまっている、という話を
   インタビューのときに涼元悠一さんとかとしていた記憶があるんです。
佐藤 そこではKey的な方法論が行き詰ったというだけで
   なく、美少女ゲームの方法論が頂点に達してしまった
   という印象でした。ヒロインと幸せになる、という娯
   楽的な部分をそそぎ落としてしまっているし、「最初
   で最後の反則業だ」「二度とこんなものは見られない
   んだ」と、当時は悲観にくれていました。
更科 イデオロギー的にジャンルを自壊させる寸前まで突き
   進んでしまった、というか、ノベルゲームの方法論と
   美少女ゲームの方法論の両面で、そろそろ臨界点がき
   ているな、という話をしていた。その問題を踏まえた
   上で次の新作―『CLANNAD』を考えなくてはな
   らない、と。
佐藤 後ろ向きさ加減が近いですね・・・。
――――
鋼屋 『AIR』は凄いものを作ったなと思う反面、Keyと
   いうブランドにとって、ひとつの終着点に辿り着いた
   という印象も受けました。いままでの作品で語り継が
   れてきたテーマを一気に突き詰めたとでも言いましょ
   うか。今後、Keyは何処へ向かうんだろうか?・・・
   みたいな思いはありましたね。

投稿: やん | 2005/05/15 03:12

 やじさん、やんさん、こんばんは。

 AVG全体の話に持っていきたいのですが、その前に『AIR』に対する齟齬があるので、そこをもう少しだけ。

 自分のように、TVシリーズ→PlayStation2と『AIR』を体験している人は、少なくないと思います。(多くもないと思います)
 それを乱暴といわれても・・・
 比較とまでいわないまでも、意識することは当然だと思っています。
 それは、TVシリーズを鑑賞するときに、多くの人が原作ソフトを意識していたのと同じように…
 また、シナリオヴォリューム云々も、その人がこれまでに培ってきた感覚によるものと思います。
 ですので、「欠点をカバーしているという意識もない」といわれて、「そういうものなのか」と感心しているところです。


> 「目を合わせていない」なんて事実がそもそも無いのです。

 この一文を読んで、もしかすると自分が理解できないような"何か"でやんさん達は、作品と会話をしているんじゃないかと思いました。


> そもそも文字を除いた視覚的情報が
> 「観鈴がいる」「笑っている」「背景は室内」しか無いのですから。

 そう受け取っているのはやんさんであり、それ以外の情報もたくさんあります。
 例えば、超平面的とはいっても、『AIR』のバックだけを見ると、きちんと描かれています。
 このコメント元のエントリにある居間のバックも、二点透視図法で正確に描かれています。(正確すぎて実際にああいった写真はなかなか撮れません)
 自分はこういったところからも、「これが出来るのなら、もっと他に出来ることがあるだろう」と思うのですが、どうやら作り手側が表現したいものは、やんさんが指摘されているもののようです。

 『AIR』が煮詰まっているどうかは、最後までプレイしてからにしたいところですが、少なくとも今の自分から見ると、自分が思い描いていたAVGというスタイルを踏襲しつつも、それとは全く別のところで進化を遂げたモンスターなんだなぁという感じです。
 公式ページにも「恋愛アドベンチャー」とあるのですが、自分はやはり、VisualArt's/Keyという、別のジャンルのソフトだと思いたいです。
 そうして、別物であることを強く意識しないと、PlayStation2『AIR』は理解できなさそうです。


 あと、先日発表された Xbox360 について。
 あのぐらいのスペックがあればもう、ハードウェア的な制約からは解放されたと思ってもいいのでしょうか?(3コア(6スレッド)もあるのに、L2キャッシュが共通で1MBでは足らない?)
 足枷はどんどんなくなっているので、自分はますます、こういったところに眼がいってしまいそうです。
 ですので『AIR』のように、それとは違うところで進化を遂げた作品には、ますます眼が遠退きそう…
 もっと、作品の中身を見ていかないとダメですね。


 それでは、よしなに。

投稿: Akihiro Inda. | 2005/05/15 20:48

また長くなりそうなので細かくレスを

>TVシリーズを鑑賞するときに、多くの人が原作ソフトを意識していた

これはもちろんそうです。
むしろ(ライトノベルがアニメ化した際等と比べて)強く意識していたと思います。
そしてそれはまず美少女ゲームというジャンル自体が特殊であり、AIRはその美少女ゲームの可能性を突き詰めた物だから
こそ、TVアニメシリーズというフォーマットやその環
境(話数・予算等)の持つ制限において、そのエッセンスを
表現する事が出来るのか(また、そのために何を捨象する
のか等)が気になったからです。
(ONEやKanonのアニメ化が御世辞にも成功していたとは言
えないからこそ尚更その意識は強かったと思います。)
そしてアニメを見た人も、その環境(主に話数ですね。)に
対する批判はよく聞きましたが、アニメというフォーマット
そのものを批判する人はいなかったと思います。
その逆の立場であるAkihiro Inda.さんの言い方だと
AIRという作品を以てAVGというフォーマットを批判している
ように聞こえて、「それは乱暴じゃないか」と感じるのだと
思います。

投稿: やん | 2005/05/15 22:47

この齟齬は「恋愛アドベンチャー」という概念が問題なのでは無いかと思えてきました。

AIRのような「恋愛アドベンチャー」ゲームというは、
パソコンでテキストでコマンド入力するタイプから進化して
グラフィックがついてコマンド選択式になった昔からある
アドベンチャーゲームの歴史から(影響が無いとは言い
ませんが)直接繋がっていません。
弟切草というサウンドノベルと称されるノベルゲームの
形式的なフォーマットを継承する形でLeafが雫という
(当時からすると)変なゲームを作ります。
これが現在に繋がる美少女ゲームの流れの始まりです。

雫というゲームがどういう特徴を持っていて、どのような
影響を与えたのかはここをご参考ください。

で、こんなゲームが未だに「恋愛アドベンチャーゲーム」
ということにされているのは、このタイプのゲームに対す
るジャンルの名称そのものが用意されていなかった。とい
うのが一番の理由だと思います。
ちなみに、AIRのインタビューでも企画者が違和感を口にし
ています。
----------------------------------------------
 麻枝 元々、単に「18禁AVG」と言われるのは、ちょっと違うな、と思っていましたし。
-----------------------------------------------

投稿: やん | 2005/05/15 23:45

>それを乱暴といわれても・・・
>比較とまでいわないまでも、意識することは当然だと思っています。
比較、意識は当然です。プレイヤーとして不満を言うのは正しいことです。ただ、出来るのにしない、とか、ネガティブなアプローチといったあたりに言及するのが乱暴だということです。METAL~はSFであり(作家の情熱もそこに集中する)、挙げられている手法も絵の持ちを数秒長く出来る程度に過ぎず、ファンタジーであるAIRにおいても十分な演出効果を望むにはハードルが高すぎやしませんか?ましてやアニメ版AIRまで望まれては。(そういう意味ではないとおっしゃるなら、これも議論の切り離しを明確にするべきでしたね)

やはりキチンとやり終えた上で(多分、同じ感想でしょうが)、有効性と実現性から語るべきです。一応念を押しておきますが、グラフィック数や立ち絵表現に、改善の余地があることは同意しています。ただ、AIRの中で薄い味付け程度にしかなりえず、議論が発散して語るに良い作品とは言えません。フォーマットとして打ち出した作品か、もしくはAVGの現状として語るべきでしょう。

投稿: やじ | 2005/05/15 23:50

 やんさん、やじさん、こんばんは。

 ジャンルの細分化が不足しているというのは、そうなんだろうと思いました。
 ですが、ヴィジュアルノベルもAVGの一部だろうと…
 そういった感覚で、AVGという言葉を使っています。

 「望む」
 この言葉に集約できてしまうのですが、自分はPlayStation2『AIR』に対して何かを、こうあって欲しいと望んではいません。
 見える、感じる、思うと、主語は常に自分でタイプしていたつもりです。

 「PlayStation2『AIR』はどうしてこうなんだ?」の「どうして」を欲していたのであり、「こうすればPlayStation2『AIR』はもっと良くなったのに」というアプローチではないです。
 つまり自分は、PlayStation2『AIR』を理解したいのです。

 それで、細分化するべきとの意見もあるのですが、取り敢えず、自分がこのエントリをアップしたときに考えていた青写真をタイプします。
 自分が思い描いているAVGと、今よく眼にするAVGとに大きなギャップが見られ、しかもそれが退化しているように見えていました。
 そこで、異論はあると思いますが、AVGの最高峰である『AIR』を題材に、今のAVGの現状を把握し、先日より相継いで発表された次世代機の時代には、自分好みのAVGがたくさん出ればいいなぁという話をと思っていました。
 このうち、『AIR』の成り立ちについては、把握できたつもりです。
 あとはプレイしながら、これを確かめるといったところでしょうか?
 ところが、今後については、自分が思っていた以上に、様々なアプローチが取られていることが分かりました。
 自分はもっと、停滞しているものと思っていました。
 特に『らぶデス』を見て思ったことは、『APPLESEED』(監督:荒牧 伸志)の特番で、曽利さんが仰っていたことと重なりました。
 この先、3Dライブアニメが主流になると、各スタジオごとにモーションキャプチャデータの蓄積が進むだろうと。
 この、モデリングデータとモーションキャプチャデータからなる静止画&動画データ作成が主流になれば、パースとかデッサンとか、そういったところからは解放されますね。
 これがAVGに活かされるかどうかは判りませんが、こちらの流れにシフトしていけば、自分好みのソフトは増えるんじゃないかと思いました。

 将来のソフトについては、自分の杞憂だったかな…


 それでは、よしなに。

投稿: Akihiro Inda. | 2005/05/18 20:57

>「こうすればPlayStation2『AIR』はもっと良くなったのに」というアプローチではないです。

う~ん、揚げ足取りですが、「もっとふさわしいソリューション~」と仰っています。まあそんなことが言いたいわけではないのです。「望む」に集約されているというのは間違いで、演出が導入される経緯について考えて欲しいのです。それなりの効果を求めるから手間を掛けるのであって、「METAL~」のような表現を用いると企画書を出したときに、なぜそうしたいの?というのは当然の議論です。確かにみちるが走り回れば楽しいでしょうし、シャボン玉が舞えば美しいでしょう。ただ、核になる部分が抽象的であり表現自体が難しいのと、ムービー挿入に慣れたプレイヤーに思ったほどの効果は期待できないでしょう。(丁寧に作っているなと認識されるくらい)仰ることには概ね同意していますし、適用すべきシーンは多いと思いますが、効果的な表現が十分可能であったか議論できる段階までAkihiroさんが進んでいるようには思えません。それに、そのあたりが注力点ではないAIRでは、建設的な議論に発展するとはあまり思っていません。ゆえに、AIRで語るべきではないと再三述べているわけです。

やはりMETAL~を語るならそれらしい作品を持って来る必要があって、逆転裁判をピックアップしてみましょうか。形式としては、コマンド選択方式で会話系テキスト、立ち絵によるウィンドウ形式の推理AVGです。ただ、法廷での論争をメインに据えているため、派手な演出をハッキリ「売り」としています。キャラのオーバーなアクションと大きな書き文字と効果音、カットイン。作品にマッチしたこの演出が目新しさとして受け入れられ、ヒットしました。(Web体験版有り。音有りのものをお勧めします)
やはり、作品に合わせた演出だからこそ良いわけで、単純に導入に踏み切れるものではありません。未見なので詳細は分かりませんが、Fate/StayNightというのが、バトル系としてけれんみの濃い演出をしているようです。バトルをメインに据えた作品は1つの派生ジャンルとして今後も続きそうな気はしますね。ドラマ性をメインにするなら、、難しいですね。ガンパレードマーチのお世辞にも綺麗と言えない3Dポリゴンと立ち絵みたいな感じが一番楽じゃないのかな。そんな系統の後続作品あったかな。。
=========================
こちらのサイト様のゲームの歴史が面白かったです。


>各スタジオごとにモーションキャプチャデータの蓄積が進むだろうと。
映画屋の意向として進むでしょうけれど、動きをつける方法の簡便化の方が進むのではないでしょうか。非人物も動かすわけで、アニメーターの欲求にもそうものだと思います。そのあたりはアメリカの方が確実に進んでいますね。真面目に日本を真似られたら、まず勝てないだろうなぁ。アイアンジャイアントとか、やっぱ面白いんですもの。

投稿: やじ | 2005/05/19 21:50

はじめまして。まくらと申します。

自分も今のAVG、そして未来のAVGには興味があります。

目パク口パクのアニメーションするAVGは、
Windows以前のPCゲームはそれなりに出回っていたと思います。
VIPERとか宝魔ハンターライムとかに関してはアニメーション
しまくりでした。
もっともその頃はFDが主で容量が少なかったので
フルアニメーションさせるAVGは短かったのですが、、
で、Windowsが登場してしばらくするとその手のものを見かけなくなりましたね。。売れなかったんでしょうか?

ところでAIRのアニメは
(少なくとも僕は)ゲームと比べて感動しませんでした。

ゲームのラスト、あれは感動したというより、
感動そのものにたどり着いてしまったような感じでした。
ものすごく感動したのですが、同時に
「人生でこれ以上感動する作品に出会うことはないだろう」
という気がしてそれがとても悲しかった。
だから「ゴール」は喜びであり悲しみでした。

アニメはその限界(絵や演出のことでなく)に到達しておらず、これ以上いいアニメが出る可能性が残されてる感じがします。
AIR自身も話数さえあればもっとよくなるでしょう。

ゲームは確かに感動という抽象的なものをプレイヤーに与える、、というより叩きつけるべくゲーム自身もあちこちに抽象的な部分を用意しています。

うまく伝えられるかわかりませんが、私が感じた絵がないことや抽象化のメリットについて言うと

人形は絵がありません。

Aさんというプレイヤーがいるとしてお気に入りの人形が五月人形だったとします。
ゲームをプレイした場合はAさんはきっとその人形を想像してプレイするでしょう。
そして話を進めていくと最後にはその自分のお気に入りの人形が光輝き、観鈴を救い、自己を消滅させます。
この心の中のイメージはアニメのシーンよりもAさんにとって感動的な光景のはずなのです。

そして別の人は別の人でそれぞれがもっとも納得する形の人形を想像します。

しかし、アニメや、アニメを見てからゲームをする人はこの恩恵に与れません。
問答無用でアニメと同じ人形をイメージしてしまいます。
視聴者に同一イメージを植え付けられますが、それは視聴者各人がそれぞれにとって最良のイメージではありません。

別の方向から見た言い方をすると、、

AIRのラストはさまざまな解釈ができますが、
Akihiro Inda. さんの最終話の感想から引用すると結果的に

> ここまでタイプしていて思ったのですが、もしかすると
> TVシリーズ『AIR』は、伝説でもまだまだ、役不足かも
> 知れません。

こんな感じに評価が上がります。
かなり効果的に抽象化してあるのでないでしょうか?

AIRで抽象化している部分の多くはそれぞれのプレイヤーがそれぞれで感動するようにプレイヤー自身に補完させているんです。

だからこそゲームからはじめた人にとって絵が少ないのは
あまり気にならない。

やんさんの言われているように絵がないことで使える
ギミックも使えなくなります。

多分、ゲームを作る際に1シーンごとに
このシーンには絵を入れるべきかは検討されていて
どんな絵を入れるべきか、それとも入れないべきかと考えた結果どんどんいらなくなっていったのでしょう。

ゲームをする際、すでにアニメのイメージを植え付けられていたら、アニメの絵を想像してしまい、自分で考える必要がなくなります。
ならば絵がないのは、よいことではなくなるのでしょう。
アニメを見てからゲームをしている人はゲームからはじめる人より
感動しない、もしくはアニメのほうがよいという話になる。

さて、AVGは今のPCの性能を活かしてもう一回アニメーションするアドベンチャーが出てきてますね。

アニメーションするAVGがある程度作られる場合、
プレイヤーはどんなことができるのか?
紙芝居調だった時代と同じように選択肢だけでよいのか?
(選択肢だけだったら素直にアニメでよいと思うし、
 リアルに動き回れ過ぎるとアクションゲームの要素が出てきそう。)
それとも新しいシステムができあがるのか楽しみです。

モーションキャプチャで思うのですが
現実とは違ったものを求めてゲームやったり映画館行ったり
してるはずなのにゲームや映画は現実に近づいていっているという現実は正しいんでしょうか?
モーションキャプチャ自体は絵がよりリアルに動くために必要だ
し、ぎこちなく動くよりすべらかに動くほうが当然よいのですが。

もしかするとビジュアルノベルはそれに疑問をもったからこそ
出来上がった形式??
具象画じゃなく抽象画を目指したような??
AIRで完成させたってのはそれのことなんだろうか??

なんか長すぎますので強引ですが終わらせます。(号泣)

乱文失礼しました。

投稿: まくら | 2005/05/22 01:55

まくらさんへ
>現実に近づいていっているという現実は正しいんでしょうか?
エンターテイメントとしては誰にも分かりませんが、映像の万能性を求めるために非現実と現実の穴埋めをするというのは、技術屋の必然的な欲求と思います。

>リアルに動き回れ過ぎるとアクションゲームの要素が出てきそう
アローンインザダークなどの謎解き系ホラーには中間作品が結構ありますね。アクションへの拡張は2Dより3Dの方が簡単なのですが、何を表現したいかによりますよね。

ただ、プレイヤーが介入する部分が多くなると、計算されたドラマは難しくなります。別個に、小説がどこまでインタラクティブになれるか、小説が映像的要素をどこまで取り入れられるか、というあたりも考えた方が良いと思います。特に後者。視覚情報である絵と文字は仲が良くなかったりするわけで、字幕、漫画あたりが既存の回答ではあるのですが、小説とは言えない。難しいですね。

>AIRで完成させた
ノベル系としての基本を、表現しきった作品だと思ってます。ゲームとしては異端でも、ノベル系として見れば、文章、絵、音楽が、相互に高い演出効果を持った凄い作品ということです。ものすごく基本的なことですが、それだけに難しい。枝葉を綺麗に整えることはいくらでも可能ですが、あるべき姿(=完成形)は変わらないと思います。

投稿: やじ | 2005/05/22 14:27

 やじさん、こんばんは。
 そしてまくらさん、初めまして。
 コメントが遅くなりました。

 さて、自分がこのエントリでやりたかったことと、やじさんの仰ることが離れてきました。
 『逆転裁判』シリーズや『Fate/stay night』を交えて推し進めれば、より深いディスカッションが出来ることでしょう。
 ですがそうなると、PlayStation2『AIR』でも持て余しているのに、ますます自分の手が届かないディスカッションになってしまいます。
 出来れば、自分の手が届く範囲に収めたいです。

 本当に3Dライブアニメが広まれば、動物のモーションに強いスタジオ(ジブリ?)や、船のモーションに強いスタジオ(OLM DIGITAL?)といった棲み分けが進むかも知れませんね。
 そしてこれを大資本の元で、ハリウッドがやり始めたら?…
 未来は分かりませんが、『APPLESEED』では、素のモーションデータをそのままでは使えなかったので、ほぼ全編にわたってアニメータが動きを修正しているそうです。
 この、各シーンごとに合わせたモーション修正はまだ、日本サイドに一日の長があると思っています。
 ですがそれでさえも、オートメーション化できる時代が来るのかな?


 さて、絵がないことについて。
 いや、今度は逆に、絵があることについて考えてみたいと思います。
 ですが、話を大きく広げる気はないので軽く、自分がPlayStation2『AIR』をプレイしていて、ふと疑問に思いましたよという程度に…

 霧島医院の前では、メインスクリーン上にわざわざ小さなウィンドゥを切って、ポテトを登場させてきました。
 他の人はどうか分かりませんが、自分の感覚からすると「なんでポテトだけ小ウィンドゥが?」といった感じです。
 まくらさんのコメントを拝見しても、やはりこの絵のある/なしには一貫性があるようです。
 ですが今のところ、自分にはその一貫性が感じられません。

 絵のないことに意味があるのなら、あのポテトの絵には、何かしらの意味があったはず。
 だけど自分には、それを感じることは出来ませんでした。
 あの、わざわざ小さなウィンドゥを切ってまでして出してきたポテトには、いったいどんな意味が隠されているのでしょうか?


 それでは、よしなに。

投稿: Akihiro Inda. | 2005/05/23 21:10

>自分の手が届く範囲に収めたいです
了解しました。とりあえず、流れに任せます。

>各シーンごとに合わせたモーション修正はまだ、日本サイドに一日の長があると思っています。
モーションキャプチャーを修正するという過程は日本が先行しているのかも知れませんが、Pixarはアニメーターが動きを決めて計算で補完し、アニメーターが修正する技術を使っているようですのでほぼ変わりなく、コンスタントに製作し、ヒットを飛ばしている経験値の差が大きいように思います。全体としての連携とかいった部分にもなっちゃいますけどね。

>ポテト
謎ですね。ストーリーにほとんど絡みませんし、シリアス展開になるとサッといなくなります。アニメ版からも分かると思うのは、マスコットだということ。珍妙な世界観を全身でもろに表しています。(フタコイのマルチーズのように)
深読みすれば冗談みたいな解釈も出来るのですが、まあ自然に、ギャグパートの象徴として、強烈な存在感だけどいつでも切り離せるように、って感じでしょうか。(「切り離せる」はかなりテキトーな解釈ですので)

投稿: やじ | 2005/05/24 00:10

 やじさん、こんばんは。

 ピクサーのページにある、「制作プロセス」に眼を通してきました。
 所謂日本のアニメーションとは、根本的に作り方が違いますね。
 これでTV番組を制作できるのかどうかは判りませんが、ピクサーは自社開発ツールが豊富なので、このアドヴァンテージは大きいですね。
 ですが、1フレームに6時間もレンダリングタイムを取られていては、毎週のTV放送には間に合わないですね。

 ポテトは白穂の転生体とかいわれていたと思うのですが、まぁそれはプレイしながら確かめます。


 それでは、よしなに。

投稿: Akihiro Inda. | 2005/05/25 22:25

久しぶりにカキコ。
ここのAir熱もそろそろ冷めてしまったようですね。
それはまぁ、置いといて・・・Akihiro Inda.さんはゲームAirを何処まで進めたのでしょう??ゴールはまだ先ですか?

投稿: 結城 レイ | 2005/06/08 02:03

 結城さん、こんばんは。

 あー、うー、すいません。まだ7月を抜け出せないでいます。
 細切れにプレイしていては、なかなか先に進めないですね。
 やはり、これはどこかで一気呵成にプレイして(言葉の使い方微妙)、一気呵成に感想をタイプ(こちらは正しい)しないとダメですね。

 ということで、今度の日曜日はスケジュールフリーですので、たくさんプレイするようにします。


 それでは、よしなに。

投稿: Akihiro Inda. | 2005/06/08 20:28

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/1613/4088765

この記事へのトラックバック一覧です: 『METAL SLADER GLORY』と『AIR』-AVGのこれから…:

» どうせやるならとことんやろう [Old Dancer's BLOG]
 今日、我が家にこんなものが。 うおおおーい!!ナニやってんだオレ!これ以上在庫増やしてどうすんだよ!そんな心の声をよそに、いそいそとインストールを始めるオレ様…。このPCで3つ目のAIRだぞ、コレ…。... [続きを読む]

受信: 2005/05/13 00:14

» 「インターチャネル」でブログ検索してみました。 [日刊カタログ]
「 インターチャネル 」の検索結果で、「『遍在 -omnipresence-』 .. 」さんを紹介させていただきました。つながり系サイトです。 [続きを読む]

受信: 2005/05/17 21:00

« 【感想】『英國戀物語エマ』第六章~訪問~ | トップページ | 【感想】『フタコイ オルタナティブ』第6話「どうして好きなのに別れちゃったの?」 »