【感想】『AIR』最終話「そら -air-」
「そして伝説へ…」
最終話をもって『AIR』は、これを具現化しました。
悪い意味で"伝説"となった作品は数あれど、こんなにも良い意味で"伝説"となった作品は数少ないと思います。
メディアミックス展開ではなく、別のメディアを原作に持つ作品は、往々にして原作ファンからの評判は芳しくありません。
小説は小説、映画は映画。
そのメディア用に作られた作品の面白さは、なかなか他のメディアでは表現し切れないものと思います。
ところがこの『AIR』は、その偉業を成し遂げました。
文章主体の恋愛アドベンチャーである原作ソフトを、映像主体のアニメーション、それもTVシリーズで表現してみせた。
いや、エンタテインメントとして恐らくは、原作ソフトを凌駕していたものと思います。
多くの場合、同程度の出来映えであれば、原作の方がより評価される傾向にありますから。
さて、自分は原作ソフト未プレイのため、その原作再現度の高さを享受することが出来ません。
ですが皆さんの感想を拝見しますと、未プレイの方はもちろんのこと、プレイ済みの方からも、多くの賞賛の声が上がっています。
奇しくもそれは、劇場版『AIR』(監督:出﨑 統)のそれとは、真逆の様相を呈しています。
プレイ済みの方なら誰しも、『AIR』が映像化されるとこうなるだろうと、勝手な想像をしていたことでしょう。
そしてその想像は各人に最適化され、各人にとってのベストイメージがそれぞれにあります。
この各人が自由に思い描いたそれぞれのイメージを、たった一つの映像作品で満足させていくためには、それこそ各人が思い描いたイメージの十倍…
いや、百倍を超えるエンタテインメントをぶつけていかないと、それは叶わぬことでしょう。
何しろ、人の想像力は無限大ですから…
ですがこの『AIR』の最終話は、多くの人から、賞賛の拍手をもって迎えられました。
それも、何かが突出しての賞賛ではなく、全体としての賞賛です。
総合芸術である映像作品が、その総合力をもって評価されているのです。
そのことをこうして伝えることは、自分にもできるぐらい簡単なことです。
ですが『AIR』はそれを映像作品で、それも斜陽産業といわれて久しいアニメーション業界内のビジネススキームで、実現してみせました。
これはもう、"伝説"と呼んでもいいと思います。
さて、原作ソフト、TVシリーズを問わず、ゴールシーンからラストまでのくだりについては、様々な解釈があるようですね。
ということで、自分なりの解釈というと大袈裟ですが、TVシリーズを通して自分が感じたことを、ここに認めようと思います。
自分が思う『AIR』のメインストーリーは、観鈴(CV:川上 とも子)が往人(CV:小野 大輔)と友達になろうとしたことを起点とし、晴子(CV:久川 綾)と本当の母子になったことを終点としています。
つまり、友達がスタート、親子愛がゴールという解釈です。
1000年前云々は大きな土台であり、決してメインストーリーではないと捉えています。
その上でゴールシーンの後、晴子の回想シーンが明けると、カメラは枯れた向日葵と鰯雲(巻積雲)を捉えていました。
向日葵が夏の季語、鰯雲が秋の季語なのからも判るように、これは夏が終わりを告げたということですね。
つまりはこれは、一夏を駆け抜けた『AIR』というストーリーが終わりを告げたということになります。
またこの鰯雲、自分の眼にはスチール写真に見えます。
他にも敬介(CV:津田 健次郎)が仰ぎ見るもつれ雲(巻雲)も、スチール写真ではないのでしょうか?
そのあと晴子がそら(CV:小野 大輔)に、「あんたは飛ぶんや!翼のないうちらの代わりに」というのは、視聴者に向けての「飛ぶんや!」ではないのでしょうか?
晴子たち翼を持たない『AIR』の住人に、『AIR』という箱庭世界から飛び出すことは叶いません。
ですが翼を持つ視聴者の我々には、『AIR』という箱庭世界から飛び出すことが出来る。
そしてそらという男性視点は、大空に向かって飛び出し、スチール写真の向こうにあるであろう、現実世界へと帰っていった。
新しい始まりを迎えるために。
我が子よ、よくお聴きなさい。
これからあなたに話すことは、とても大切なこと。
私達がここから始める、親から子へと、絶え間なく伝えていく、長い長い、旅のお話なのですよ…
私達は星の記憶を継いでいく。
この星で起こる総ての事象を見聞き、母から子へと受け渡していく。
星の記憶は、永遠に幸せでなければなりません。
憎しみや争いで空が覆い尽くされた時、この星は嘆き悲しみ、総ては、無に帰すでしょう。
いつの日か、滅びの時を迎えること。
それも避けようのない結末。
けれど最後は、星の記憶を担う最後の子には、どうか幸せな記憶を…
この第一話の冒頭にもあったメッセージ。
読み聞かせているのは、観鈴役の川上とも子さんですね。
正直にいいますと、あの映像とも相俟って、リテラシの低い自分は、このメッセージを理解し切れていません。
これは他の方の感想を拝見しながら、ゆっくりと咀嚼していこうと思います。
そしてオーラス。
「この海岸線の抜こうに何があるのか?」
「彼等には過酷な日々を… そして僕等には、始まりを… さようなら…」
これは少年(CV:矢島 晶子)が作り手の代表、少女(CV:野中 藍)が女性視点なのかな?と思いました。
海岸線の向こうには現実世界があり、そこへ確かめに行こうと。
彼等、つまり『AIR』の住人には、これから過酷な日々が与えられます。
そして僕等、つまり現実世界の住人には、『AIR』を観終えた直後から、現実という時間が始まります。
さようならをした作り手の少年は、女性視点である少女と手を繋いで、海岸線の向こうへと歩いていきます。
そしてその少女は、『AIR』のタイトルロゴに重なる。
タイトルロゴといえば、視聴者が作品と向き合ったとき、一番最初に眼に飛び込んでくる玄関のようなもの。
その玄関にまで、女性視点を送り届けた作り手。
『AIR』に限らずフィクションの創造主は、少しでも居心地の良い箱庭世界を作り出し、それを受け手に提供しようとします。
だけどそれは、そのフィクションに永住して欲しいのではありません。
受け手には、一時のエンタテインメントを、享受して欲しいのです。
愉しみ終えた後は後腐れなく、リアルワールドへ戻って欲しいのだと思います。
何故なら人は、逆立ちをしても絶対に、リアルワールドなしでは生きられないのですから。
『AIR』の最終話は、居心地の良いフィクションから、明確にリアルワールドへ戻ることを表現しているように感じました。
そのためのスチール写真であり、そのためのリアルな海岸線表現であると感じました。
そう考えると、過剰とも思える晴子の「飛ぶんや!」演出だって、晴子が明確にフィクションの住人であることを、表現していたのではないのでしょうか?
ここまでタイプしていて思ったのですが、もしかするとTVシリーズ『AIR』は、伝説でもまだまだ、役不足かも知れません。
「伝説から神話へ」
これはいわずと知れた、『グラディウスIII』(1989 KONAMI)のサブタイトルです。
神懸かりしTVシリーズ『AIR』は今、"神話"となった・・・
それでは、よしなに。(敬称略)
P.S. TBポリシーについては、こちらを参照して下さい。
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この記事へのコメントは終了しました。
コメント
TBありがとうございます。
そしてシリーズ通して数回のTBしていただいたことも
重ねて御礼致します。
観鈴たちの物語が終わった後の話は非常に曖昧ですが
AIRの物語を通して制作者が伝えたいことに限りなく近い
事はなんとなく解ります。
そしてそれは希望であり、過酷な運命だけではない
という事に改めて気づきました。
放送枠としては総集編なるものが残っていますが
AIRレビュー、お疲れ様ですということで。
また、お世話になることもあるかと思いますので
よろしくお願い致します。 では。
投稿: カヨウ | 2005/03/26 06:02
こんばんは。
こちらこそ、ありがとうございます。
取り敢えず総集編についても、エントリをアップするつもりではいます。
どんな内容になるのか、想像も付かないんですけどね。(^^)
それとあとは、『舞-HiME』(監督:小原正和)の最終回についてもアップしようかな?と。
『舞-HiME』も凄く、面白いですね。
TXとTVOでかなりのタイムラグがあるため、TX組の感想を見ないようにするのがたいへんなのですが。(苦笑)
それでは、よしなに。(敬称略)
投稿: Akihiro Inda. | 2005/03/26 19:33
おばんです。
感想を拝見させて頂きました。多様なメディアの中でのTVアニメ版AIRへの考えは同感です。見る人に、今後のアニメ作品に対する意欲や期待を抱かせるだけのパワーを十分持った作品だったと思います。第1話時点では「どうせ」という思いもあったのですが、いつしか「まさか」に変わり、最後には「ありがとう」と言える作品にまで膨れていく感覚は、とても貴重なものでした。
======================
さて、原作組から見た最終話なのですが、かなり忠実に出来ていると思います。発作や神奈の飛翔シーンなど、原作のイメージすら飛び越えたシーンがこれまでにあったのですが、ゴールのシーンについては、想像通りと言った感じです。しかし、その後のキャラクタ総登場のエピローグは、時系列の異なるアニメ版でしか成り立たない見事なものでした。その後の晴子とそらのシーンは、原作では抑えた語り口だったのですが、とても勢いの強い幻想シーンに変更されていました。違うからこそ、何か制作の自己主張が詰まっていると私も思っています。晴子が制作側(というか石原監督かな)、そらが視聴者で、スーパー晴子さん(笑)がそらにありえない映像を見せつつ、思いや希望を託します。遺伝子とは違う何かを次に繋いで欲しいという願い、ヒトがヒトとして栄えた理由の一つがそこにあると思います。またいつか~元気でやりや、と去っていく晴子は非常に満足げでしたね。
今回でマイナス点なのは、神社のシーンでしょうか。いつの間にか神社に着いていたのにはびっくりしました。晴子の自分勝手さが目立ちやすいシーンなだけに、もう少し。
実は神社のシーンは別なのを予想してました。
雨の中で悲しみに暮れる2人をそらが笑わせたいと必死になって願う->遠くで恐竜の人形が反応(光+ナマケモノの動きっぽく)->気付く3人という感じだったら良いな、と。
我が子よ~のセリフのほとんどは、設定だ!と納得して頂く部類のものです。翼人の定めや観鈴のたどり着いたゴールがなんとなく伺えるかと思います。
ただ、その後に少年が、「昔のことを思い出していた」とのたまったことに、自分はびっくりしました。普通に考えれば、少年=往人、少女=観鈴で良いのですが、少年が翼人の起源を知っている(共有)とすると、二人ともリセットされた翼人という可能性が。とはいえ、その解釈を肯定、否定しようにも続きは無いわけで。(笑)
相変わらず難しいエンドですが、思い思いの今後を描ける素敵さが良いと思っています。なんというか、達者が何より、という言葉だけでも済みますし。
======================
これまで期待した分、総集編は力を抜いて見ようと思っています。ダメダメでもそれはそれ、ネタとして笑えるのではないでしょうか。
長文失礼しました。今後もコメントを付けるとは思いますが、まずは一旦、お疲れ様でした。m(___)m
投稿: やじ | 2005/03/26 23:00
どうも、ブログをはじめて一番最初についたトラックバックがここからのでした。
以来毎回、遅くなりまくりの私の感想に毎回送信して頂きありがとうございます。
今まで裏切られ続けていた「アニメ化」。原作に忠実な形で行なって成功したのは、このAIRが初めてじゃないでしょうか。アニメに携わる全ての人が、こうあってくれたらいいなぁって思います。
総集編は見るかどうしようか迷っています…11話感想に書きましたが、私、人の家で鑑賞しているので(笑)
投稿: あるごる | 2005/03/27 00:52
やじさん、こんばんは。
やじさん宛のコメントは、後程きちんとタイプしますので、もうしばらくお待ち下さい。
あるごるさん、こんばんは。
最初の頃はTBの何たるかも知らずに、ただ『AIR』の感想だからで、半ば闇雲にお送りしていた節がありました。
ですのでそうでしたか、こちらからのが初TBでしたか。
さて、ゲームのアニメ化についてですが、忠実なのは『AIR』が嚆矢になったと思います。
"ここまで出来る!"を魅せ付けたのは、『To Heart』(監督:高橋ナオヒト)が嚆矢かな?
あと、アニメに携わる総ての人というか、お金を出す人の理解が大きいと思います。
そのものを観ていないと、そのものについて云々出来ないのは物の道理なので、観られるものなら観ておいた方がいいと思います。
例えば、EX(テレビ朝日)オンリーの番組などについて自分は、全く何も言えないですからね。
それでは、よしなに。(敬称略)
投稿: Akihiro Inda. | 2005/03/27 01:27
コメント書いてから、引っかかっていたことが解け始めました。裏葉の語り、翼人と羽の意味、大きくなったそら、過去を思い出す少年。。ああ、どうやら大きく思い違いをしていたようです。orz
ただ、イマイチ繋がらない部分もあるので、うまく練れたら書き込もうかなと思います。おやすみなさいませ。
投稿: やじ | 2005/03/27 02:03
どうもこんばんは。
アニメAir、遂にゴールまでたどり着いたのですね・・・見ていないのですが、何か心に来るものがあるのは、私がAirの使徒だからでしょうか?w
ところで先週言ったことですけれど、子供達のシーンはやはり出てきたようですね。
あのシーンはAir最大の謎にして、今でもなお、Airが熱く語られる原動力になっているものと私は思っています。
で、私がこのシーンを覚えておいて欲しいと言ったことの件ですが・・・
10話で彼らのことを観鈴ちんが見ていて、子供達が手を振ってくれたので、観鈴ちんがそれに答えて手を振りましたよね。
原作ではセリフだけですけれど『子供達が手を振ってくれたの、だから私、手を振り返したの』みたいなセリフがあったと記憶しております。
そして最終回の件のシーン。
どちらが先に、手を振っていたのでしょうか?
私の曖昧な記憶だけだと確かなことは言えないのですが、ここの所を確認していただけないでしょうか?
そして、私の記憶のとおりだとしたならば・・・このシーンのことを、また改めて考えていただけると嬉しいです。
投稿: 結城 レイ | 2005/03/27 02:14
こんばんわ。AIR関連でTBさせていただいているIrudeです。
あらかじめ言えば、劇場版AIRで原作信者なんだなと自覚したりしてますw
11話ラストがすごくて、最終回はどうなるんじゃーって
思ってみてました。
で、見た感想はというと…
ん!これは!
これは…AIRだなぁ…AIRだよなぁ…。
そう、信者視点で言えば確かにどこから見てもAIRなんです。
まさしくそうだと思うんです。
…が、どうしても印象が違う。しかも結構大きく。
AVG始めたのがAIRだったのですが、それ以降ブランドでは無くて、
シナリオライターの好き嫌いで
買う方が多く、もしかしたらその性格のせいなんだろうかと^^;
今まで11話までは気づかなかったのが、12話で何故そう思ったのか、
ってな事で原作を引っ張り出してきたり
もうしばらくAIR漬けを楽しめそうですが。
削った部分に好きなフレーズがあったりしたのもあるのかしら…。
AIRだと有名な部分だと思ったんだがなぁ。
と、こんな感じに素晴らしいアニメの出来と、
やっぱり素晴らしい原作の狭間でやきもきしている
AIR原作"狂"もいたりしますw
投稿: Irude | 2005/03/27 05:17
やじさん、こんばんは。お待たせしました。
件の晴子からそらへのメッセージシーンは、駄目だった人が割と多いようですね。
異質といえば異質ですけど自分は、ああいったシーンを入れられるのは、アニメーションのメリットの一つだと思っています。
神社のシーンというか、土砂降りの中をそらごと病人とタンデムというのには、びっくりでした。(^^)
強引なシーンを、勢いあるカットで押し切られたような…
ですがもちろん、それだけの映像があるからこそ、そんなシーンも押し切れるのですけどね。
我が子よは設定だ!で、納得ですか…
うーん、もう少し何か欲しいです。(^^)
取り敢えず、原作ソフトとは台詞が違うようなので、その当たりから切り崩していきたいです。
それで少年の「思い出していた」は、自分も引っ掛かったところです。
ですがそれを自分は、作品内の少年ではなく、作品外の少年(=作り手)とすることで、納得しています。
もちろんこれが正解ということは、ないのでしょうけどね。
さて、長文コメントはいつでも大歓迎です。(^^)
メールでも大歓迎です。
これからも宜しくお願いします。
結城さん、こんばんは。
手を振る順番も含めて件のシーンですが、自分は第十話と最終話は全く同じように見えていました。
ですが観返してみると少年は、第十話では左手を、最終話では右手を振っていました。
つまりこのシーンはザッピングのように見えていて、実はパラレルワールドのようです。
ちなみに、手を振る順番はどちらも少年の方が先です。
映像的には、最終話では観鈴の方が先に手を振っているのですが、この前に観鈴が少年に気が付く仕種があります。
ですので自分は最終話でも、少年の方が先に手を振っていると思います。
Irudeさん、初めまして。
どちらかがアレな出来映えだと、「こっちが最高!」といえるのですが、ともに素晴らしい出来映えで、その違いは単に志向の違いだけだった場合は、自分もやきもきしてしまうでしょうね。
さて、やはり原作ソフト未プレイからの卒業をしないといけないかな?
それでは、よしなに。
投稿: Akihiro Inda. | 2005/03/27 23:52
む、どちらも少年が先に手を振っていましたか・・・私の記憶違いだったのかも・・・
お騒がせして申し訳ありませんでした。
投稿: 結城レイ | 2005/03/28 00:41
おばんです。
巨匠全盛の時代に比べ、作り手と作品の主従関係が変わり、クリエーターの主張や説教を入れ込まないストイックな作品が受けているのは確かだと思います。まあ、結局は受け取り手次第なわけで、今回のは魔法が解ける瞬間の理不尽さに反応したのでしょう。起こされる子、起こす母と言った感じでしょうか。
我が子よ~は、原作とは別解釈が可能になっていそうです。原作を知って差を見るのは重要ですが、最終的にはアニメ版のみで考えた方が良いと思います。(言うまでもなさそうですが)
で、とりあえず共通していると思われる事柄から。
翼人は星の記憶を継ぐもの。星の意思、代理と思えばよろしいかと。万物を操る力があり、審判を下すことさえ可能なのでしょう。
いつの日か~以降の解釈は、原作では翼人に対するものとして書かれますが、アニメ版では星そのものと捉えることもできます。そうなると、星が滅びるのは必然、ただし翼人が手を下すことなく終わって欲しい、という願いとも取れますね。
原作ではさらにその後に続く文章で、翼人がその使命を終える場合があることを示します。それゆえ、ラストの少女は翼人の使命を終えた観鈴だと考えられるのですが、さてアニメ版では?
正直アクロバティックな解釈を含むので、参考意見程度に見て頂きたいです。繋がりっぽいものを見つけるはたやすく、されどその先を辿り破綻を見つけるのは難しいもので。
1時越えちゃった。。とりあえずこの辺で。
投稿: やじ | 2005/03/28 01:27
> 正直にいいますと、あの映像とも相俟って、リテラシーの低い自分は、このメッセージを理解し切れていません。
原作AIRの解釈としてならば、以下の3サイトをおすすめしておきます。理解の参考になれば。
まちばりあかねさん
Kカスタネダさん
のり@臥猫堂さん
投稿: なゆた | 2005/03/28 02:27
個人サイトを見るより先に、制作インタビュー記事に目を通した方が、ノイズが判別出来て良いと思います。
2ちゃんねるAIR総合スレッドのまとめ(仮)
http://airfossil.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/wiki.cgi
ここのMaterials:資料のロングインタビュー2本をお薦めします。
投稿: やじ | 2005/03/28 20:16
結城さん、こんばんは。
映像的には、最終話では観鈴の方が先に手を振っているので、自分の感じ方の方が誤りかも知れません。
ですので、順番が変わっていると仮定しての、結城さんのお話を聞かせて頂ければと思います。
やじさん、こんばんは。
なゆたさん、初めまして。
これから教えて頂いたところを、熟読しようと思います。
コメントはそれを終えてからにします。
まちばりさんのところはブログなので、TBさせて頂こうかなと思っています。
wiki.cgi には、a href タグからは飛べないようなので、そのままにしています。
それでは、よしなに。
投稿: Akihiro Inda. | 2005/03/28 20:38
すばらしい最終回でした。
ご自分なりの答えが出せたようでよかったです。
特報!もうひとつの神奈の物語「AIR 夏特別編」今夏、BS-iにて放送決定!
だそうで。これは楽しみ。
AIRの考察は
天野拓美さんの
夜想曲 ~愛情に満ちたあたたかい空気~
http://air.niu.ne.jp/
もオススメです。
「どこをさがしてもきみはいない」を初めて見たとき、言葉では表せないような気分になりました。
投稿: けぬ | 2005/03/29 00:16
こんばんは。
さて、教えて頂いたサイトを拝見しました。
それで感じたことは、「『AIR』は凄いものを描き出そうとしているんだなぁ」ということです。
ストーリーとしてではなく、ホントの幸せとは何か?を追求している。
TVシリーズを観た限りでは、そこまでのものを感じられなかったのですが、TVシリーズにもそれらが内包されているかも知れない…
原作ソフトをプレイした後、もう一度TVシリーズを観直すと、そういったものが観えてくるかも知れませんね。
けぬさんが薦められた「どこをさがしてもきみはいない」。
テクニックではなく、感情を乗せることによって魅せるイラストでしたね。
夏特別編。
BS-iのこの枠は、こういったのがあるから嬉しいですね。
京都アニメーションの真骨頂、神奈のツンデレ炸裂を期待しています。
それでは、よしなに。
投稿: Akihiro Inda. | 2005/03/29 21:07
どうもこんばんは、結城レイです。
最後の子供達のシーンで、観鈴ちんが先に手を振った(ように思い込んだ)ことで、私はあの物語は1000th summer、千年の夏であると同時に、千回の夏なのだと思ったのです。
ゲームをすれば、幾度となく最初からやり直すわけであり、アニメ版であっても、そらの居る夏、居ない夏の2種類の物語があるわけです(まぁ、そらの居ない夏の結末はわからないのですが)
そして、件の子供達のシーン。
あのシーンは、ゲーム中ではセリフと一番最後でしか出てこないのですが、セリフでは確かに、子供達から手を振って、それに答えて観鈴ちんが手を振ったと答えています。
それなのに、一番最後のシーンでは観鈴ちんから先に手を振っていた(ように見えた)のです。
これはつまり、あのシーンの後にある物語は私達の知らない、また新たなる夏の始まりだと、私は強く思ったのです。
でも、どうもあのシーンは、私の勘違いだったみたいで・・・変に惑わせてしまってすみませんでした。
投稿: 結城レイ | 2005/03/30 01:07
主題を簡潔に述べると、家族(心寄せあうこと)が幸せの源、しかし内向きのベクトルを持ちやすいので、外に目を向け踏み出す勇気を持とう、といった感じでしょうか。後半部分を示すリンクは山とありますが、みちるが往人に泣きつくシーンが端的に表していますね。どのヒロインのラストも主題から外れていないと考えると、ラストの二人が何を確かめに行くのか、なぜ「さようなら」と言ったのか分かりやすくなると思います。ただ、原作では「この先に待つもの」の後に、恐ろしく分かり難い言葉が付きますので、逆の意味にも捉えることが出来ちゃったりします。
主題が凄いというよりも、その主題を展開したメディア、手法、力の入れ具合が常軌を逸していたというのが正しいように思います。ラストが抽象的で、緻密に張られたリンクを辿って解読させる、エンターテインメント性の低い原作を、アニメ版ではテーマに繋がり易いように、リンクの量を減らしたり、直接的な映像を載せることで対処していますので、濃さを味わうためには少々物足りないと思います。ただそれでも、2回目見直すと気付く部分がかなりあるので、普通に考えれば濃すぎるくらいかと(笑
SUMMER特別編、オチが付け難いことを考えると、オリジナルなエピソードを加えてくれそうで楽しみです。
投稿: やじ | 2005/03/30 01:10
結城レイさんへ
>私達の知らない、また新たなる夏の始まり
その認識で問題無いと思いますよ。
手の振り方は分かり難いですが、砂で作っているモノが若干違っていたり、女の子の動きが違ったりしています。
ただ原作でも、それで何を強調したかったのか、私は汲み取れ切れていません。なぜループではなかったのか。。
投稿: やじ | 2005/03/30 01:30
結城さん、こんばんは。
なるほど、原作ソフトとTVシリーズとの違いに、結城さんなりの意味を見出そうとされたということですね。
ですが、やじさんからもコメントがあったように、TVシリーズと原作ソフトとは違うものという認識でいいのではと思います。
やじさん、こんばんは。
> 手法、力の入れ具合が常軌を逸していたというのが正しい
そう紹介されると、ますます原作ソフトをプレイしたくなってきますね。
先程、メ(略)を立ち読みしてきたのですが、夏特別編は、コミカル中心で展開するような口振りでした。
原作ソフトのsummer編が、どこまでコミカルなのかを知らないのですが、そのファクタが足りないようなら、オリジナルエピソードを挟み込んでくるでしょうね。
それでは、よしなに。
投稿: Akihiro Inda. | 2005/03/30 19:44
どうも、はじめまして。
PCソフトのAIRをプレイしてから
だいぶ時が過ぎましたが、アニメ版の
AIRが最近、大反響という事で
嬉しく思っています。
ゲーム原作では、AIRの元となる「SUMMER」
のシナリオが気に入ってますね。
哀しすぎます・・・。
「AIR」のシナリオは・・・あまりに救いがなさ
すぎて、かなり衝撃でした。
投稿: キダクエスト | 2005/05/18 00:41
キダクエストさん、初めまして。
TVシリーズでも、SUMMER編がお気に入りの人もいれば、AIR編がお気に入りの人もいらっしゃいました。
1,000年前の話を挟み込んできて、戻ってきたら主人公はカラスになっていたという展開は、今思い返してみても、凄い展開だと思います。
PlayStation2 の方は、現在プレイ中です。(^^)
総プレイ時間は20時間とも30時間とも聞いていて、どうしようかな?と思わなくもないですがね。(苦笑)
それでは、よしなに。
投稿: Akihiro Inda. | 2005/05/18 20:58
というわけで、Akihiro Inda.さん、こんばんは。
たこーすけです。
うわ!ラストコメントから、2年の時を経て…
観鈴は何と言ったのか (「AIR」最終話 そら - air -) たこーすけの、ちょろっと感想
http://blog.goo.ne.jp/takosukena/e/69b67273aa61e68893dc128dfdbf1b86
になります。
お手数をおかけして申し訳ありません。
よろしくお願い致します。
Akihiro Inda.さんもトラックバックを送ってプリーズ(あきらさん風)
それでは!
投稿: たこーすけ | 2007/05/16 02:13