【感想】劇場版『AIR』先行鑑賞会
極一部の方には、たいへんお待たせしました。
今回は先行鑑賞会のレポートも兼ねていますので、かなりの長文となっています。
また、当然のことながらネタバレも多分に含みますので、ご注意下さい。
・2005/02/04(Fri) 20:40 心斎橋パラダイススクエア
まずは、上映開始までのレポートから。
自分は開場時間丁度に現地入りしたのですが、既に入場が開始されていました。
入り口で当選葉書と引き替えに、劇場版『AIR』の資料とポスターを受け取ってから、一路劇場へ。
席に着いて少しすると入り口の方で、パンフレットの販売が始まりました。
するとすぐさま、劇場の後ろには長蛇の列が出来ました。
まぁ自分はネタバレを避けるため、本編を観終わらないうちは絶対に読まないですし、どうせ帰りしなにも購入できるのだからと、タカを括っていました。
劇場版『AIR』を観て、面白かったら購入しようと。
ところが自分の隣の席の人がですね、その大きなパンフレットを広げて、読み始めたんです・・・
もーっ、隣のパンフレットが、気になって気になって仕方がない!(笑)
そんなこんなの我慢の15分も何とか乗り切り、ようやく先行鑑賞会開始。
司会はフロンティアワークスの…ごめんなさい、お名前を忘れてしまいました。
今回は鑑賞会だけかと思っていたのですが、なんと特別ゲストの方がいらっしゃいました。
特別ゲストは、東映アニメーションの東伊里弥プロデューサと、ビジュアルアーツの樋上いたるさんと折戸伸治さんのお三方。
ステージ上に向かって左から、男性、女性、男性と並ばれたお三方。
えーっと、樋上いたるさんって女性の方だったんですか・・・存じませんでした。
いたるというお名前から、自分はてっきり男性の方かと思っていました。
それで三人を代表して東プロデューサから、「製作開始から三度目の夏が過ぎました」や「約91分になりました」などの、苦労話がありました。
最初、司会の方の「三人を代表して」という言葉は、自分の聞き間違いかと思っていたのですが、ビジュアルアーツのお二人のお声は、最後まで聞くことが出来ませんでした。
・・・結局あのお二人は、何をしに来られたのでしょうか?
東天満からの帰りに、ちょっとだけ心斎橋に寄られただけなのでしょうか?
さて、ゲストの方が退場されてから、照明が暗くなり、いよいよ劇場版『AIR』の上映開始。
冒頭のトレーラはなんと、劇場版『機動戦士 Ζガンダム A New Translation 星を継ぐ者』。
どうして東映配給の映画に松竹配給の映画?と、そのときは思ったのですが、後から調べてみると、この会場となった心斎橋パラダイススクエアは、松竹系の映画館だったんですね。
これも知りませんでした。
さて本当にいよいよ、劇場版『AIR』の開始です。
まず最初に、自分に対して出﨑統さんというネームヴァリューは、意味をなしません。
これは中村誠さん、小林明美さん、周防義和さん等も同様です。
また、原作ソフトは未プレイでして、唯一の『AIR』体験は、TVシリーズのみとなっています。
そんな自分のファーストインプレッションは、「古臭い作品だなぁ」です。
自分が普段から観慣れているトゥルーハイビジョン放送と比較すると、鮮鋭感の劣る35mmフィルムが上映媒体ということもあって、非常に古めかしい印象を受けました。
また音響の方も、台詞がセンターに定位されていて、それ以外がサラウンドに回されるという、いかにもなサウンドデザイン。
エンドテロップには「DTS STEREO」だけがクレジットされていましたが、この作品は本当に2005年 2月公開の映画なのでしょうか?
サウンドデザインに関してハッ!とするようなシーンは、皆無でした。
また映像の方も、あれを出﨑演出の応酬というのでしょうか?
まるで四半世紀前の作品のような、入射光、3回パン、ハーモニー処理、画面分割、光る吐瀉物、光る鮮血、etc.…
海や旗等はCGIで表現されていましたが、電車やバス等は手描きでした。
どうも3DCGIは、導入されていないようです。
エンドテロップで、絵コンテのクレジットを見逃しているのですが、あれは出﨑さんのものなのでしょうか?
歯に衣着せぬ物言いをしますと、三次元空間把握力に乏しい絵コンテや演出でした。
撮影台に背景画を置いて、その上にセル画を重ねて'撮影'をしていた当時は、基本的にオブジェクトは二次元移動だったので、カメラワークの自由度は芳しくありませんでした。
そのためこういった絵コンテや演出は、効果的だったのだと思います。
ところが今は、総ての素材をコンピュータ上に取り込んでから、'コンポジット'する時代です。
当時と比べてやりやすくなったということはないでしょうが、オブジェクトを三次元的に動かしやすくなった分、カメラワークの自由度は飛躍的に上がり、当時では成し得なかったような映像表現が、次々と可能になりました。
その結果、今はそれらを活かす力、つまりは、三次元空間把握力に富んだ絵コンテや演出が、求められるようになりました。
ところが今回の劇場版『AIR』では、時代錯誤とまではいいませんが、たいへん失礼ながら、旧態依然とした絵コンテが切られていまして、しかもそれをもって演出されていました。
これらを懐かしいと肯定的に捉えるか、古臭いと否定的に捉えるかは、観る人次第だと思うのですが、昔ながらの絵コンテや演出であることに、間違いはないと思います。
次にストーリーテーリングについてですが、過去の文献を調査しながら、それと今の自分がおかれた状況を重ね合わせるという、オーソドックスな構成。
過去にあった翼人伝承宜しく、他人を想うに連れて衰弱していく神尾観鈴(CV:川上とも子)。
だからこそこれまで観鈴は、自分の感情を押し殺して、出来るだけ他人を想わないようにしていた。
だけど国崎往人(CV:緑川光)と出逢って、自分の身体のことよりも自分の気持ちを、往人を想う気持ちの方を優先しようと決めた。と、ここまでは理解できました。
これは凄くいい話だと思います。
ですが最終的に、観鈴の生死はよく判らなかったし、往人は翼人伝承宜しく事切れてはいないし、何より観鈴達は何故、翼人伝承に準える運命を辿るようになったのかが、まるで伝わってきませんでした。
また、これらをもって劇場版『AIR』は観る者に対して、いったい何を訴え掛けたかったのでしょうか?
劇場版『AIR』は観る者の心に、いったいどんな楔を打ち込もうとしていたのでしょうか?
自分はこれこそが作品の肝だと思うのですが、残念ながら劇場版『AIR』は、自分の心には何も残してはいきませんでした。
その結果、タイトルである『AIR』とは、いったい何を示唆しているのかも、自分には全く伝わってきませんでした。
それとこれは原作を意識してのことだと思うのですが、劇場版『AIR』に於いて、観鈴の変わった口癖を持つという設定に、何かしらの必要性はあったのでしょうか?
往人が法術を使えるという設定に、何かしらの必要性があったのでしょうか?
少なくとも現在放送されているTVシリーズ『AIR』(監督:石原立也)には、その必要性を感じています。
ですがこの劇場版『AIR』には、それらを感じられないのです。
翼人伝承を下敷きにして、観鈴や往人を描くのに、これらの設定は本当に必要だったのでしょうか?
自分の眼には、観鈴が終始標準語を話していても、往人が法術を使えなくても、劇場版『AIR』は成立できたように見受けられました。
この辺りに『AIR』を劇場版へ仕上げることと、作り手側がやりたかったことや訴えたかったこととの齟齬を、感じています。
ましてや今回の劇場版『AIR』の上映時間は、約91分。
『AIR』たらしめるためだけの設定を放り込むのではなく、劇場版『AIR』として必要な設定だけを、充分に絞り込む必要があったのではないでしょうか?
いや、作品が『AIR』を名乗る以上は、上映時間等の外的要因のいかんに関わらず、これらの設定をきちんと汲み取ってなお、ストーリーとして昇華させる必要があったと思います。
これが出来ていない、もしくは、敢えてそれを避けたということはつまり、作り手側にそこまでの力量がなかったことを意味します。
ということで最後はこの感想の纏めとして、かなりの勇気と、劇場版『AIR』に関わった総ての人へ大きな期待を込めて、この言葉で締め括りたいと思います。
「アニメーション界の重鎮の作品は、この程度で終わりとなってしまうのか!?」
それでは、よしなに。(敬称略)
P.S. そんなこんなで、結局パンフレットは購入せずに帰宅しました。
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この記事へのコメントは終了しました。
コメント
急かしてすみませんでした。
感想しっかり読ませていただきました。
本当信じられないほど酷かったですね・・・。
劇場に残る人だかり(次の回の人たち)を見て
なんだか泣きたくなりましたw
投稿: 流浪人 | 2005/02/06 18:59
いや、そこまで酷いとタイプしたつもりはないのですが、そう読めてしまいます?
投稿: Akihiro Inda. | 2005/02/06 19:10
すいません私情が入りました。
私としては相当ショックを受けたので
つい感情的にタイプしてしまいました。
私は実際あんまりな作品だと思いました。
投稿: 流浪人 | 2005/02/06 19:42
まぁ、そういった方がおられても仕方ない、内容でしたからね。
特に、無料のTVシリーズであのクォリティ!
有料の劇場版で・・・
ただ、出﨑作品として確立しているものがあります。
そこを自分には評価できないので、拙文は所謂'批評'というものにはなり得ません。
自分のはせいぜい、'感想'止まりになってしまいます。
投稿: Akihiro Inda. | 2005/02/06 20:14
出崎監督のファンからも AIR のファンからも一歩離れた立場での感想、非常に興味深く読ませていただきました。わたし自身は原作 AIR のファンですので、自身もバイアスのかかった感想を抱いてしまい、また周囲の感想も私に近いものが多くなってしまいますので。
原作に忠実であることを望んではいませんでしたが、これだけは外せないというところを外してしまっていた、と感じています。
原作モノの映画化の有り方自体に疑問を投げかける作品かもしれませんね。
音響や技術面での評価は私はあまり分からない方なのですが、作画の崩れだけはそんな私でも気づいてしまう位でした。
投稿: vortex | 2005/02/07 07:31
かなり同じ意見です。
パンフの監督インタビューみるとわかりますが、「がぉて口癖あるんですよ」って言われて「じゃあ入れようか」程度の考えで作ってる。
口癖の理由が重要なのにね。
監督はあまりちゃんとゲームをやってないようで。残念です。
観鈴倒れたときの晴子が遅れてきた理由や距離を置いてた理由も語られなかったので、親子愛の話としても全然駄目なわけで。
投稿: 碧輝せりか | 2005/02/07 14:58
vortexさん、碧輝せりかさん、コメントありがとうございます。
今回の劇場版『AIR』。
『AIR』らしさを抜きにしても、一本の映画として満足のいく内容であれば良かったのですが、残念ながらそこまでのクォリティは、内容にも表現にも感じられませんでした。
では、この作品は『AIR』たりえたのか?というと、そうでもない。
結局のところこの作品は、出﨑演出のみしか内容がないところが、最大の瑕疵なんだと思います。
これが四半世紀前ならまだしも、今は2005年・・・
劇場版『AIR』は駄作だ!と、言い切ってしまってもいいのかな?
ただ、日本に住む人のより多くは、ブランドだけでお金を遣います。
そして企業のより多くは事業の正否を、その儲けで判断します。
つまり、第二、第三の劇場版『AIR』を生み出させないためには、この作品が金銭的に失敗する必要があります。
『AIR』ファンを標榜する方々は、この劇場版『AIR』のDVDを購入されますか?
ファン一人一人の行動が、十年後の『AIR』の評価を、左右すると思います。
それでは、よしなに。
投稿: Akihiro Inda. | 2005/02/07 20:59
トラバありがとうございます。
AIR原作を未プレイということで、原作をやった自分とはかなり違った感想を持たれていて、
すごく参考になりました。
自分のblogでも語らせていただきましたが…
やっぱり原作をやっておられない方にも辛い作品ですね…AIR。
やっぱり監督のAIRへの愛が感じられないのが一番の問題じゃあないでしょうかねぇ…この作品。
個人的にはラジー賞にノミネートってか大賞ものです(笑)
投稿: J-P01 | 2005/02/09 01:50
J-P01 さん、コメントサンクスです。
Panasonic が J-PHONE(現Vodafone)で端末を出さなくなって久しいですが、今は何をお使いでしょうか?
さて、そちらのブログを拝見しますと、やはり第三稿が良かったご様子。
パンフレットを熟読された方は異口同音に、そう仰いますね。
パンフレットを買わなかったのは、失敗だったかな?
投稿: Akihiro Inda. | 2005/02/09 20:08
いやはや…色々blog読んで頂きありがとうございます。
私は今やSH族ですよ…最近はほぼSH以外選択肢ないですからねぇ…Vodafone。
AIR原作に忠実ですね。第三稿は。
原作やってる方にはあのエンドがいいと思えますが…
原作やってないような監督には意味が理解できなかったんじゃあなぃかなぁ…(失礼ですけど)と思ってみたり。
一度、ゲームの原作をやってみる事をおすすめしますよ。
投稿: J-P01 | 2005/02/10 00:50
初めまして。AIRの感想を毎回楽しく読ませてもらっています。。
パンフレットは、監督のインタビューが興味深かったですよ。
J-P01さんが「監督には意味が理解できなかったんじゃあなぃかなぁ」と書かれていますが、どうもそのようですね。正確には、「分からない部分を中村氏(第三稿を書いた人間)に質問したが、満足する回答が得られなかった」ということだったようです。
監督がどこまで原作を知らなければいけないのか、ということは分かりませんが、少なくとも脚本を書こうとする人間はすべてを知った上で仕事にかかって欲しかったですね。
個人的には、監督だけの問題ではなく、シナリオを検討したスタッフ全員の問題であったと思っています。
投稿: ファンゴルン | 2005/02/10 13:56
J-P01さん、ファンゴルンさん、コメントサンクスです。
皆さんのコメントを拝見していると、どうも『AIR』に近いものは表現できそうにないので、翻って出崎監督路線に走ったような印象を受けています。
特にその第三稿では、原作にソフトに忠実とのこと。
それを敢えてしなかったのですから、あの内容に、それなりの自信があったのだと思います。
現に「感動した」という方もたくさんおられますので、それなりの成功は収めているのでしょう。
自分は感動、できなかったのですが…
それと音楽について。
自分の心には響かなかったのですが、原作ソフトプレイ済みの方は総じて、「青空」にやられているようですね。
自分はあのとき、まるでギャグマンガのように背景でザッバーン!となっている波に眼を奪われていまして、そんなにいい曲が掛かっていたの?っていう感じです。(苦笑)
この辺りもやはり、原作ソフトをプレイしないとダメか…
さて、V603SH が気になってます…
あと、RD-Z1 も…
それでは、よしなに。
投稿: Akihiro Inda. | 2005/02/10 20:24
エア見てきました。「別の作品」としてみるには最高に笑えますね。撮影技法(特効)の点ではスーパー、入射光を使いまくってるだけで表現力やとしては深夜の作品に負けてますし‥(まあエンディングのスタッフロールに原画さんの名前が全員載ってる時点で駄目‥orz)スライドの引きが機械的ですし入射光の光源も変わってたり‥。動画もありえない動きをしてますしパースに乗ってない点が多数‥。塗りはエムアイがやってるだけあって二号落としまで再現してますから良いかな。いちゃもんばっかで申し訳ないです。キャラクターの性格が全然違うし。良い点は往人君が親父をアッパーで殴るシーンが素晴らしい!(あれに制作時間の全てを注いでいるんじゃないかな藁)まあアッパーにつきますね藁アニメ的技法は乏しいですがこれにやられました
投稿: 某アニメ界の人(撮影) | 2005/02/12 23:26
コメントサンクスです。
まず、原画さんのお名前が全員載っていると、どうして駄目なのでしょうか?
それと、「二号落とし」の意味を教えて頂けますか?
あと、この辺りが出﨑作品の洗礼を受けてないからだと思うのですが、あの往人の腹へアッパーシーンって、そんなに良かったですか?
自分にはあのシーンの良さが、まるで伝わってきませんでした。
あのシーンも含めて、何だか出﨑さんの手が届く範囲だけで制作をしているようで、ちっとも上昇志向が感じられないんですよね。
物作りってもっと、挑戦し続けることだと思っています。
それでは、よしなに。
投稿: Akihiro Inda. | 2005/02/13 00:08
①二号落としはキャラクターにつける二号影の事をいいます(動画用紙のキャラクターの影指定に緑の色で書かれてます。普通は一号影までしかなくクオリティーや質感を出すのに使います)
②原画さんの名前が全員載せれると言うことは作品制作にどれだけ携わっているかというスタジオの方針も分かりますしね‥(名前が全員載せれると=作品に対する執着心もないって事かな。エンディングのスタッフロール見て驚きましたけどね)
不満な点。今回の作品がよく見えない原因のひとつは原画が駄目だということ。いくら塗りがしっかりしていても汚く、古臭く見えるんです。大体上の人たちも作品をまったく知らずに作ってると言うのが変な話です。なに考えてるのか子一時間問い詰めたい。ただ、それを知ってて見に行った人はこの事態はある程度予測がついたかも‥。もはや別の作品として見るしかないです。 要するに、劇場版エヴァンゲリオンの二の舞!
コメント。作品にこだわりや執着心があるひとは本当に見ないほうがいいですね。どうしても見たいならDVD借りるなり買うなりして見ることを本当に勧めます。映画館の設備にもよるんですが、一般の人が見ない作品は設備が良くないところにまわされますので‥。 p.skey公式ホームページの映画の感想はかなりいただけないです。満足しましたとか、泣けたとかって‥〇| ̄|_
投稿: 某アニメ界の人(撮影) | 2005/02/13 05:56
コメントサンクスです。
"二号影"で検索して、解説を読んで理解しました。
それで、「原画さんの名前が全員載せれると=作品に対する執着心もない」が、もう一つよく分かりません。
どうしてこの二つが繋がるのでしょうか?
また、仮に原画が良くなったと仮定して、あの絵コンテや演出は、本当に効果的に働くのでしょうか?
特に自分のように、出﨑演出の洗礼を受けていない者に対してです。
もう一つ、「劇場版エヴァンゲリオンの二の舞!」とタイプされていますが、自分はあれこそ、『THE END OF EVANGELION』の名に相応しい内容だと考えています。
別の作品ではなく、第25話、第26話として、第壱話から連綿と繋がっていると思います。
質問ばかりですいませんが、宜しくお願いします。
それでは、よしなに。
P.S. 有効なメールアドレスでの書き込みをお願いします。左のモビットを…
投稿: Akihiro Inda. | 2005/02/14 00:25
なんか、否定的な意見が多いようですね。
僕は、原作を全く知らない事もあってか、
すごく感動しました。
涙をこらえるのに必死でした。
大満足と言っていいと思います。
でも、これだけ評価されてる原作の方も
1度やってみたいと思いました。
投稿: ジャパネットやまお | 2005/02/17 23:35
ジャパネットさん、コメントサンクスです。
何でも楽しんだもの勝ちだと思っています。
ですので是非、大満足だといえた、ジャパネットさんのお話を聞きたいです。
細かい話をしても、ここでのやり取りではなかなか難しいと思うので、大きいことをお訊きします。
タイトルにあった『AIR』は、何を指していると感じられました?
これが自分の胸にストン!と落ちてくれば、自分の見方も変わってくるんじゃないかと思っています。
投稿: Akihiro Inda. | 2005/02/18 20:37
『AIR』とは、何を指してるのかですか。
難しい質問ですね。
確かに、劇場版の内容では、なんでタイトルが
『AIR』なのかは分からないかもしれません。
でも、僕はあの作品は、あれでいいのだと思います。
なぜなら、あんまりゲーム版に存在するAIRの哲学を
劇場版に取り込んでしまうと、僕のような一般視聴者が
ついていけなくなるからです。
パンフレットには、出崎監督は中村氏から受け取った脚本が
理解できなかったと書いてありました。
それは、おそらく原作を知ってる人しか分からないAIR哲学が
多く取り込まれていたのではないかと思います。
それを何度も何度も書き直し3年もかけて作り上げたこの
『劇場版AIR』は、僕には過去に見た事無いような素晴らしい
作品に感じました。
なぜ、そんなに素晴らしいと思ったのかは、何度も言うようですが
原作を知らなくても楽しめるように、十分に配慮されており、
あまり難しい表現も無く、直線的に感動が伝わったからです。
登場人物も減らしているそうですが、それも正解だったと思います。
なぜなら他のキャラの分まで作ろうとすると、
90分では無理だと思うからです。
今回の内容では、原作の『AIR』を知り尽くしている方々にとっては、
いろいろな不満や疑問が出てくるというのも頷けます。
でも、それは仕方が無い事のように思います。
ちょっと言葉が悪いですがマニア受けするような内容では
映画ではダメだと思います。
僕は、もう1度『劇場版AIR』を見に行こうと思っています。
2度目となると視点も変わってくると思うので
なぜタイトルが『AIR』なのかも、もう1度考えてみようと思います。
投稿: ジャパネットやまお | 2005/02/22 02:45
ジャパネットさん、再びサンクスです。
ご自身のことを「一般」と区別されていること自体がもう既に、『AIR』に対する偏見だと思うのですが…それはさておき。
『AIR』の哲学を取り込まず、『AIR』を知らなくても楽しめるように配慮されており、マニア受けしないように作ったと、劇場版『AIR』を仮定します。
では、その仮定された劇場版『AIR』は、どうして VisualArt's/Key の『AIR』を原作としたのでしょうか?
劇場版『AIR』には、どうして原作があるのでしょうか?
自分はそこに、原作人気に肖ろう!以外の意図を見出せません。
もちろん別の作品ですから、原作の呪縛から解き放たれる必要はあると思います。
ですが、タイトル以外に原作の意味がない作品というのは、いかがなものなのでしょうか?
「商売的に致し方ない」というのはマーチャンダイズとしての側面であって、それこそ一般視聴者は、ワークスとしての判断だけで充分だと思います。
その辺りの答えが、表題に掲げられた『AIR』に内包されているといいなぁと思っています。
劇場版『AIR』をもう一度ご覧になったジャパネットさんのコメントに、期待を寄せております。
投稿: Akihiro Inda. | 2005/02/23 20:28
はじめまして。私も原作を知らない派です。どうやら原作を知っている方と原作を知らない方とでは感想が否定的、肯定的という具合に明暗が分かれますね。私は最初観た時は、なんだか珍妙な少女が頑張って死んじゃったという感想しか持てなかったのです。友達と観にいった動機が物見的な動機でした。まあ、それから観終わってなんだか見当違いで呆気にとられました。
数週間経ってまた2度目を観たのですが、かなり感動しましたね。哀しい話なんですが、やけにカッコイイんですよ。細かい所まで目がゆきます。出崎監督の手法は古典的、悪く言えば古臭いのですが分かりやすいんですよ。
例えば一度浜辺で二人すれ違って別れるシーンがある。明らかに二人の未来を暗示している。で、また出会わせる、知り合いとして。
また、帽子を被った観鈴と往人が自転車をこいでいるところがいいです。病状が悪化して顔色が悪いので帽子で隠して、風で飛ばされてしまう。それを拾ってくれる往人を観鈴はどんどん好きになっていく。でも好きになればなるほどどんどん病状が悪化していく。これがツボにハマりました。
あと、生母の写真を焼いてしまうのは観鈴の決心の現れですね。死んだ人を想うのは愛情を交感出来る生きた人よりか楽ですから、最後の逃げ場所としての思い出を捨てているから決死の覚悟ですよ。同時に往人に想い告げる彼女なりのプロポーズですね。お、重い・・・・
本気が好きだと言った往人も本気な観鈴を受け止める度量がなくて、右往左往してますね。晴子に可愛がってあげてと言われているのに、観鈴を抱こうとしないんですよね。いい加減だったら、いい思いして町を去ればいいですよ。往人は意外に真摯な態度をとるんです。
特にお祭りの日は良かったと思います。心身共にボロボロな観鈴が、戻ってきた往人と再会するまでの感情の高まり、持っていき方は好きですね。
最後に往人がバスではなくて電車で町を去るのには決定的な別離があったことを暗示していると思います。圧倒的な喪失感が彼の胸に去来していて、彼はどうしようもないんだと思います。ただ、厳しい顔で居るしかない。
結局、映画は原作とは別物になってしまっているようですが、この感動は偽物ではないと言えると思います。私は原作の『AIR』が何足るかを語る格はないですが、映画の『AIR』は透き通るようなソラのイメージではなくて、往人の血の通ったナマナマしい喪失感のイメージがありますね。
投稿: 神無月 | 2005/03/01 02:42
神無月さん、こんばんは。初めまして。
原作を知っている/知らないと、感想が肯定的/否定的の相関については、てりぃさんのところで、調査されようとしていますので、じきに答えが出ると思います。(現在は簡易版にて集計中)
さて、神無月さんが挙げられた良いところについて、異論はありません。
ですが自分は、劇場版『AIR』で感動することができませんでした。
この差を表現できる言葉を、自分は今まで知らなかったのですが、先程『BSマンガ夜話』を観ていて、それをようやく見付けることが出来ました。
"劇場版『AIR』のような作品を描けば感動できる"というところに、身を置いている。
これが今一番、しっくりきています。
自分は心で感じたものこそがと思っているのですが、劇場版『AIR』にそこまでのものはありませんでした。
ですが同時に、あれで感動できる人がいても不思議ではないとも、思っていました。
つまり誤解を怖れずにタイプすると、劇場版『AIR』の感動は、これまでたくさんの作り手がチャレンジしてきた、たくさんの人によって手垢の付いた、頭で考えるタイプの感動ではないか?ということです。
これが神無月さんの仰っていた、「手法は古典的、悪く言えば古臭いのですが分かりやすい」といった部分に重なると思うのですが、いかがでしょうか?
そしてこれとは逆の例が、『CASSHERN』(監督:紀里谷和明)ではないかと思います。
理屈で感動を追い求めるのではなく、自分の心で、託された希望を受け止める…
自分だってもっとガチガチに感動ものを描こうとしていると思って臨めば、劇場版『AIR』に心動かされるかも知れない。
そう思い始めています。
それでは、よしなに。(敬称略)
投稿: Akihiro Inda. | 2005/03/02 00:46